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<title>人生で大切なことはすべて育児から教わった。</title>
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<description>日々の育児と仕事、生活から気付いたことを書き綴っていきます。</description>
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<item rdf:about="http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2010/01/post-8837.html">
<title>２０１０年、更なる飛躍の年に！</title>
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<description>新年、明けましておめでとうございます。 ２０１０年も無事に明けました。 ２００９...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;新年、明けましておめでとうございます。&lt;br /&gt;２０１０年も無事に明けました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２００９年は、長野県・飯綱町への移住から始まり、娘の幼稚園入園、新しいビジネス基盤の構築、新しい人間関係の構築と変化に富んだ１年になりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして多くの素晴らしい人たちと出会うことができ、またたくさんの方から支えられて、素晴らしい年にすることができました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;恐らく２００９年は、一生忘れられない年になることでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして２０１０年。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今年は更なる飛躍の年にしたいと思っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いや、必ず飛躍の年にします！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;具体的には、ITとはまったく関係の無い、新しいビジネスをはじめます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この２年ぐらい、ずっと思い描いていたビジネスなのですが、新しい生活基盤が完成したことを受けて、ようやく機が熟したと感じています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どんな形で、誰と立ち上げることになるのか？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まだ詳細は決まっていないのですが、きっと素晴らしい出会いに恵まれ、最高のメンバーで新しい事業が立ち上げられると信じています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２０５０年・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;OECDにおける「国民の幸福度調査」で、日本が５年連続世界１になる・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんな日を新しい事業のゴールとして、走り始めたいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今朝も午前５時には起床して、今まさにその目標設定・ゴール設定が完了したところです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どういった形で表に出ることになるのか、自分でもすごく楽しみです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろん、現在の生業であるITコンサルタント・ファシリテータの仕事も、これまでと同じように、精進する所存です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こちらも具体的ではなく、まだ構想（妄想）の段階なのですが、前から頭に思い描いている「コンテンツ・ビジネス」については、何らかの方法で形にしていきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それでは本年度も、よろしくお願いいたします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;追伸：&lt;br /&gt;外は大変な雪でこれから雪かきです・・・（笑）&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>親の成長</dc:subject>

<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
<dc:date>2010-01-01T07:13:51+09:00</dc:date>
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<title>火が入りました！</title>
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<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/12/28/image_2.jpg&quot; alt=&quot;火が入りました！&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
<dc:date>2009-12-28T17:15:22+09:00</dc:date>
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<title>薪ストーブ設置完了！</title>
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<content:encoded>&lt;p&gt;&lt;img src=&quot;http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2009/12/28/image.jpg&quot; alt=&quot;薪ストーブ設置完了！&quot; border=&quot;0&quot; /&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
<dc:date>2009-12-28T11:31:53+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/1501800-c00d.html">
<title>なぜ一人月150万円の技術者の年収は1,800万円でないのか？</title>
<link>http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/1501800-c00d.html</link>
<description>昨日の東京出張の帰りに、「ダメなシステム屋にだまされるな！」を購入し、帰路の新幹...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨日の東京出張の帰りに、「ダメなシステム屋にだまされるな！」を購入し、帰路の新幹線の中で読みました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
同じ「システム屋」として、共感するところ、「？？」っと思うところ、様々あったのですが、まずは共感する部分について、書いていきたいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
まず、私の商売のスタイルにも直接紐づいている「なぜ一人月１５０万円」の技術者の年収は、1,800万円でないのか？という章について。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
私は約１０年の社内SE経験を経て、インディペント・コントラクターのITコンサルタントとして独立しました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
その経験の中から、この章に書かれていることとまったく同じことを思っていたこともあり、独立する際には「特別なオフィスを設けることはしない。」「社員は雇わない。」「間接費用は最低限に。」ということを念頭にスモール・ビジネスでやってきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;独立の際に、オフィスを構えて社員を雇い、給与計算や各種経理処理などはアウトソーシング、もしくは社内に間接部門を設けることで会社を運営使用とした場合のコストシミュレーションを行いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そうすると、どうやりくりしても、現場で稼いでくるSEさんには、自分の年収の1.8～2.5倍程度を稼いでもらわないと、法人として成り立たないことがわかりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
当然ですが、オフィスを借りて人を雇うとなると、まず一定の固定費がかかるわけですし、間接部門の人間はお金を稼いでくることが無いので、この人たちの給料分も、SEさんに稼いできてもらわなければなりません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そうするとその費用はどこに上乗せされるかというと、ほとんどはお客さんへの見積書・請求書に上乗せされていくわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
しかも、本来一番固定費を食わないはずの「コンサルティング」業務に、このあたりの費用が一番乗っかることになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
なぜならば、「エンジニアリング」業務にこれを乗せても、日本の請負型ビジネスモデルだと、「焼け石に水」となって消えていくからです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「コンサルティング」業務というのは、正確にいうと「請負」ではなく「委任・準委任」で契約することがほとんどのはずです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
この「委任・準委任」と「請負」との大きな違いは、「完成物に対する責任の所在の有無」です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「請負契約」というのは、契約時に定められた一定品質の完成物を納品することに責任が伴う契約であり、「委任・準委任」契約というのは、それが発生しない契約です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
日本におけるシステム開発の現場を見ていると、完成物（納品物）の仕様が固まらないまま、「業務委託契約（請負型）」を締結するケースがほとんどです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
これで何が発生するかというと、そこが見えない仕様変更地獄による納期遅延。そして業務を請け負う側から見ると、赤字プロジェクトの発生です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
日本での契約はとかくその内容が曖昧で、「何を持って完成物・納品物とするか？」の定義が曖昧のまま、完成物・納品物に対して責任をもつ契約をしてしまう傾向にあります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
個人的に日本の情報システム産業がいつまでも変わらない理由（ダメな理由）は、ここにあると思っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
ちょっと話がそれてしまいましたが、「本来一番固定費を食わないはずのコンサルティング業務に、間接費用等の会社運転費用が上乗せされる」裏事情について書きます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
先に書いたとおり、「エンジニアリング業務」にいくらこのあたりの金額を乗せても、赤字発生のリスクが極めて大きいので、上乗せした分はほとんどが「赤埋め」で消えていきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そこで、確実に期間を区切っての契約が可能な「コンサルさん」の登場です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
コンサル契約というのは、完成物に責任を持たない契約であるため、極端な話だと３ヶ月間の契約の中で、プロフェッショナルとしてのサービスを提供したという証拠さえあれば、「納期の遅延」等は発生しないので、極めて赤字発生リスクが低い「商品」になります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
ここに「付加価値」という何の信用も裏づけも無い情報空間上のバリューを、あたかも「希少価値」のごとく乗せて「コンサルさん、一人月３００万円也」というバブリーな商品が出来上がるわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そしてこのコンサルさんの給料はというと、年収３０００万ということは当然なく、せいぜい７００～８００万程度というのが相場なのではないかと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
残りの２０００万超はどこに消えるかというと、会社運転資金に消えていくわけです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
SIerからすれば、こんなにおいしい商売はありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
本当にコンサルティング能力があるかどうかわからない（日本語をしゃべることもままならない？）、おじさん・おばさん（時には兄ちゃん、ねぇちゃん）に、無理やり「コンサルタント」のラベルをくっつけて客先に送り込み、「その金額の論拠を述べよ」といいたくなるような人月単価を請求してきます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
これがSIerにおける「コンサルティング」商品の実態だと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
もちろん実際には、有能なコンサルタントの方がいるのも事実だと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
ただ残念ながら、「この人はすごい。絶対にかなわない・・・」というようなITコンサルタントさんにあったことが無いのも事実です・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
私は日本の「システム会社」がこういった構造的欠陥を抱えていることをずっと感じていたことから、コンサルタント業をやると決めたときから、「&lt;a href=&quot;http://www.npo-ic.org/index.php&quot;&gt;インディペンデント・コントラクター&lt;/a&gt;」というスタイルでやることを決めました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
こうすることで、俗に言う「固定費」なんていうものはほとんど発生しないですし、稼がない間接部門の方の九両分を稼いでくることも無いので、SIerのコンサルさんと比べたら相当に安価な価格設定でも十分に稼業を営むことができています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
恐らく私は今後もこのスタイルを変えることは無いでしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
すでに日本のシステム開発現場では「SIer神話」は崩壊したといっても良いと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そういった「もう大手と組むのはウンザリ・・・」というエンドユーザに対して、私は自分の知恵と経験を「適正な価格で」ご提供することが、自分のミッションだと考えています。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>ITコンサルティング</dc:subject>

<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
<dc:date>2009-12-15T07:22:54+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-152c.html">
<title>コレクティブハウス見学記</title>
<link>http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-152c.html</link>
<description>去る１１月２８日に実施されたコレクティブハウス聖蹟の見学会に参加をさせて いただ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;去る１１月２８日に実施されたコレクティブハウス聖蹟の見学会に参加をさせて&lt;br /&gt;
いただきましたので、その感想をシェアさせていただきたいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
①ハードがすばらしい！&lt;br /&gt;
──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
ベランダに間仕切りが無いって・・・、すごい・・・&lt;br /&gt;
これが今回の見学会にいて、ハード（建物）に対して一番印象に残っている部分です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もちろんそれ以外にも、コレクティブハウスならではのコモンスペースをはじめとする&lt;br /&gt;
素晴らしい設備はたくさんあったのですが、私が今回、何よりもコレクティブ・ハウスらしい！&lt;br /&gt;
と感じたのは、ベランダに間仕切りがないという造りでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;コレクティブハウスは、よく「現代版の長屋」といわれますが、その古き良き「長屋」の&lt;br /&gt;
雰囲気が一番継承されている部分って、まさにこの「間仕切りのないベランダ」なのでは？&lt;br /&gt;
っと思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;居住者同士がベランダでフトンをパンパン叩きながら、「今日の晩御飯」等の日常会話を&lt;br /&gt;
交わしている、そしてその横を子どもたちが追っかけっこをしながら猛ダッシュで駆け抜けて&lt;br /&gt;
叱られるという昭和３０年代まではどこでも見られたような情景が、こんなモダンな建物で&lt;br /&gt;
繰り広げられているのかと思うと、すごく不思議な感覚でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;居住者同士が緩やかにつながることができるために考えられたさりげない工夫の数々。&lt;br /&gt;
同じクリエーターとしも勉強させられる部分が多々ありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なんか変なところがストライクゾーンですいません・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
②居住者がすばらしい！&lt;br /&gt;
──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
私がコレクティブ・ハウスに興味を持ったのは、子どもを授かって子育てというものを&lt;br /&gt;
真剣に考えるようになってからなのですが、今回、育児環境を変えたいという想いで&lt;br /&gt;
聖蹟に移住されたパパのお話を聞くことができました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのパパが、「ここでの住まいは、親が社会（＝ハウス）の中で、ひとつの役割を担って&lt;br /&gt;
ここがより良く維持・発展できることに貢献している姿を見せることができる。」という&lt;br /&gt;
ことをおっしゃられていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;我々の仕事のほとんどは、この１５年～２０年で、物理空間から「コンピュータの中」の&lt;br /&gt;
情報空間に移ってしまいました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この情報空間というのは、子どもから見れば「何をしているのかさっぱりワカラン世界」で&lt;br /&gt;
あり、親は一生懸命働いているにもかかわらず、なかなかそれが子どもには伝わり&lt;br /&gt;
ずらいという側面があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そういった意味で、「個人が何かの役割を担って活動することで、社会がより良くなる」と&lt;br /&gt;
いう実例を最も身近な生活空間の中で子どもに見せることができるということは&lt;br /&gt;
何よりも素晴らしい教育になっていると思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このことに気付かせていただいた同じ４歳のお子さんを持つパパに感謝です！！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
③CHCがすばらしい！&lt;br /&gt;
──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
このようなすばらしい住環境、そして居住者同士の関係性をコーディネートされた&lt;br /&gt;
CHCの活動は、改めて社会的な意義が大きいものであると再確認させていただきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私はコンピュータの技術者をやっているのでどうしても物事をコンピュータの世界に&lt;br /&gt;
置き換えて考えてしまうのですが、住居設備がハードウェアだとしたら、居住者が気持ちよく&lt;br /&gt;
暮らすことができるあらゆる仕組み（WS等）がソフトウェア、そしてその２つを適切に&lt;br /&gt;
コーディネートするオペテーティングシステム（OS）がCHCなのだと思いました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;住環境と居住者、そして居住者間同士が気持ちよく連携する仕組みを担っている&lt;br /&gt;
CHC（=OS）が素晴らしいからこそ、より住環境とそこに住まう居住者の方の素晴らしさ&lt;br /&gt;
がより増すのだろうなと感じました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;個人的にはこの１１月から、より深くCHCのサポートをしていきたいとの想いで&lt;br /&gt;
正会員にならせていただいたのですが、この素晴らしいOSのどの部分を担うことが&lt;br /&gt;
できるのだろうか、そしてどういった「新機能の搭載」に貢献することができるのだろうか&lt;br /&gt;
と改めて考えるきっかけをいただきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
※臨場感空間を共有してこそ信頼関係が生まれる&lt;br /&gt;
──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
私は人と人との「信頼関係」がどのように醸成されるのかにすごく興味をもっており&lt;br /&gt;
そういった本をたくさん読んできました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その中で、「信頼関係とは同じ臨場感空間を共有したもの同士の間に醸成される」という&lt;br /&gt;
ことがわかってきました。そしてその臨場感空間が、より生命維持活動に直結している&lt;br /&gt;
空間であればあるほど強い信頼関係が生まれるということがわかってきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そういった意味ではコレクティブ・ハウスという仕組みは、一定の生活空間を共有し&lt;br /&gt;
そして「同じ釜の飯を食う」仕組みがあらかじめ組み込まれているため、極めて&lt;br /&gt;
理にかなった「信頼関係醸成の場」と見ることができると思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;見学会最後のQ&amp;Aで、居住者の方が「お互いのギャップは無理をして修正しようと&lt;br /&gt;
しなくても、自然に良い関係が出来上がっていく」とおっしゃられていましたが&lt;br /&gt;
まさにナットクのひとことでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして同じく、既に稼動しているコレクティブハウスという臨場感空間を「見学会」という形ですが&lt;br /&gt;
共有させていただいたことで、これまで本や人から教えていただいたこと以上の素晴らしい&lt;br /&gt;
発見がたくさんありました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そのおかげで、「コレクティブハウスは信頼できる素晴らしい仕組み」ということを改めて感じました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
※見学会に出かけよう！&lt;br /&gt;
──────────────────────────────────────────────&lt;br /&gt;
このようにたくさんの発見があり、またコレクティブ・ハウスという仕組みの素晴らしさを&lt;br /&gt;
再認識することができる見学会でした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;このMLのメンバーの中でも、まだ実際に稼動しているコレクティブハウスに出かけたことが&lt;br /&gt;
ないという方がいらしたら、ぜひとも見学会にご参加されることをお勧めします。&lt;br /&gt;
きっと、頭の中に描いているもの以上に、素晴らしい発見があると思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;以上、長文ご容赦ください。&lt;br /&gt;
&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>コレクティブ・ハウス</dc:subject>

<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
<dc:date>2009-12-14T07:00:19+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-5b32.html">
<title>なぜ人は「自由」を履き違えるのか？（その２）</title>
<link>http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-5b32.html</link>
<description>昨日からの続きです。 昨日の投稿で、多くの人は「自由」に対して、３つの勘違いをし...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨日からの続きです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨日の投稿で、多くの人は「自由」に対して、３つの勘違いをしていると書きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;次の３点が、私の感じている「皆さん、勘違いしてませんか？」という点です。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;①「自由」という看板の裏側には、「責任」という裏看板があるにもかかわらず、それを知らない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;②「自由が大切だ！」と叫んでいる人ほど、実は「自由」を大切にしているのではなく「その人の自由」を大切にしているというパラドックスに陥っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;③真の「自由」は情報空間に存在するにもかかわらず、「自由」が物理空間にあると思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そして今日は、３番目の【③真の「自由」は情報空間に存在するにもかかわらず、「自由」が物理空間にあると思っている。】について書きたいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
これはわかりやすく言うと、「いくら物質的に満たされたとしても自由を獲得することはできない。」ということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして引いては、物理空間に自由は無いということになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これにに対しては疑いの余地は既に無いといっても良いぐらい、我々一般庶民に対しても浸透していると思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
もちろん、肉体という物理世界の中に脳と心という情報空間を持つ我々だから、一定の物質的な豊かさは満たしてあげる必要があると思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
しかし、物が満たされれば、お金が満たされれば自由になれるという「幻想」はもはや捨てるべきである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://www.narinari.com/Nd/2008079755.html&quot;&gt;何よりもGDPで世界２位の位置にいる日本国民の幸福度が、OECD諸国中４３位という数字&lt;/a&gt;が、いくら経済的に満たされていても、心が幸せになれない＝自由になれないということを如実にあらわしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そして真の自由は情報空間にあるということに移りたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
例えば、車の運転をしていて、別の車が非常に危険な行為で割り込みをしてきたとする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
普通であれば、カッとなってクラクションを鳴らしたり、場合によっては煽りをいれて追い込みをかけたり、場合によっては、幅寄せしてそのクルマを無理やりとめて、×××（以下２５６文字削除）。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
要は極端な表現をすると、「殺意」を覚えるという感覚に陥る。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
この「殺意」が心にこみ上げてくるのは、自分ではどうしてもコントロールできない。だって勝手にこみ上げてくるんだから、制御のしようが無い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
しかし、このこみ上げてきた「殺意」に対して、我々人間はそれを「抑制」することができる。これは制御可能なことだ。自分の感情をコントロールできるという表現のほうがわかりやすいかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
これこそが「自由」である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
心から勝手にこみ上げてくる「殺意」といのは、どうやってもこみ上げてくることそのものを制御することはできないのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
あのお釈迦様でさえ、断食の修行中に裸の女性のイメージが何度も頭によぎって苦しまれたというエピソードがあるぐらい、脳幹（煩悩）に紐づいた原始的な生命維持活動に基づく感情というのは消し去れるものではないのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
これはある意味非常に「不自由な状態」といえよう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
しかし、それと同時に人間はそのこみ上げてきた感情をコントロールすることもできる。これは自分の心の持ちようや精神修養でいくらか可能なことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
私はこれこそが「真の自由」だと思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
自分ではどうしようもないことを、自分の解釈によって如何様な世界でも作り出せる「感情のコントロール技術＝煩悩のコントロール技術」こそ、「真の自由」だと思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
ここで言う「煩悩」とは、「自分さえ良ければいい」という極めて自己チューな感情という意味で捉えて良い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
殺意なんていうのは、強い煩悩から生み出される典型的な感情のひとつだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
それをコントロールできることこそ「自由」なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そしてこれを、我々人間が生きている俗の世界に当てはめた時に、いつも頭の片隅においておきたい言葉がある。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
それは「足るを知る」ということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
この「足るを知る」という言葉を聴くと、「多くを求めることなかれ」「現状に満足しなさい。」というふうに解釈する人もいると思うが、私は層じゃないと思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
この「足るを知る」という本当の意味は、「今あなたの周りを構成しているものや状況の中に幸せを見出しなさい。」「今あるもの・状況に感謝をしなさい」という意味だと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そして、「今あなたの周りを構成しているものや状況の中に幸せを見出しなさい。」「今あるもの・状況に感謝をしなさい」ということを実践使用とする場合、「今感謝できるものは何だろう。」「今自分は何が幸せなんだろう」と、自分の内側に向けて自分に対して自分が質問しているような格好になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
そしてそこから帰ってきた答えこそが「自由な答え」なのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
なぜならば、自分由来の答えだからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
こう考えると、やはり自由というのは自分の内側、ようは心や精神といった情報空間に存在することがわかると思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
自由な状態というのは物理空間、つまり自分の外側ではなく情報空間＝自分の内側にあるということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
もう少し日常の生活における場面に落とし込むと、「やりがいのある仕事をする」のと「やりがいを持って働く」というのは、もちろん後者のほうが自由である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
「おいしいものを食べる」と「おいしく食べる」というのも、もちろん後者のほうが自由である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
やりがいのある仕事をするというのも、おいしいものを食べるというのも、それは自分の外側にあるものに大きく左右される考え方だからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;やりがいを持って働く、おいしく食べるというのは、自分の心の持ち方次第、感情のコントロール結果次第で、どんな食べ物でも、どんな仕事でも自分にとって幸せなものになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
これこそが自由だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
極論すると、自分がどんなに物理的に恵まれていなくても心から「私は自由だ」と思えばその人は自由だし、そうじゃなければどんなに物質的に満たされていても「私は不自由だ」と思えば、その人は不自由なのである。&lt;/p&gt;</content:encoded>



<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
<dc:date>2009-12-13T07:59:06+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-b84f.html">
<title>なぜ人は「自由」を履き違えるのか？（その１）</title>
<link>http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-b84f.html</link>
<description>昨日からの続きです。 今後人類が克服すべき問題として、「戦争の肯定」と「履き違え...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨日からの続きです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今後人類が克服すべき問題として、「戦争の肯定」と「履き違えた自由」の問題を挙げました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日は「履き違えた自由」について書きたいと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
今私が感じていることとして、多くの人は「自由」というものに対して３つの履き違えをしていると思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;履き違えというか、勘違いといってもいいかもしれないし、大いなる洗脳によって違う解釈をさせられているといってもいいかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その３つとは次のとおり。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;①「自由」という看板の裏側には、「責任」という裏看板があるにもかかわらず、それを知らない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;②「自由が大切だ！」と叫んでいる人ほど、実は「自由」を大切にしているのではなく「その人の自由」を大切にしているというパラドックスに陥っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;③真の「自由」は情報空間に存在するにもかかわらず、「自由」が物理空間にあると思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
ひとつ、ひとつを見ていこう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
まず、「自由」という看板の裏側には、「責任」という裏看板があるにもかかわらず、それを知らない。について。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これはわかりやすいと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、はたから見ていると、これが一番「バカ」っぽい（笑）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
自由な振る舞いをするには、必ずその振る舞いに対して「責任」が付きまとう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「なにをしてもあんたの自由だよ。ただそれは全て自分で責任をとってね。」っというのが、自由に対する当たり前の解釈だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なのに、自由ばかりを主張し、その振る舞いの結果に対して責任を持たない輩がなんと多いことか・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そしてこれが特に顕著なのが、情報空間における振る舞いだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;物理空間における自由な振る舞いについては、比較的「責任」を感じやすいと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;極端な話ですが、「殺人は自由かも知れないけど、その責任をあなたは取れますか？」っと言うことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これの一番わかりやすい例が「戦争」だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;戦争を起こすのは自由かもしれんし、一部のアホなエスタブリッシュメントたちは「戦争も必要」というが、これこそ自由を大きく履き違えた典型的な例である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人が人を殺して、その責任なんて取れるわけがない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なぜなら、その人が生きる自由という、地球上全ての人間に対して最も尊重すべきを自由の権利を、永遠に奪ってしまう行為だからだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自由のための戦争で、人の自由を奪うというのはなんとも馬鹿げた話だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、こういうバカな輩たちが、②に挙げている「自由が大切だ！」と叫んでいる人ほど、実は「自由」を大切にしているのではなく「その人の自由」を大切にしているというパラドックスに陥った人たちだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
自由が大切、自由が大切だとバカの一つ覚えのようにいう輩ほど、「自由」を大切にしているのではなく、「自分の自由」を大切にしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本当に自由が大切ならば、「自由」という概念そのものを尊重すべきだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;要は「自由」というものに対しても、抽象度を上げ、そして時間軸も座標にいれた視点から眺めた「自由」を尊重すべきなのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;具体的には、「私の自由が大切」というのは、かなり抽象思考ができない動物レベルの思考回路しか持っていないということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして「私の自由が大切」という低い抽象度から、抽象度を上げていくとこうなる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「私の家族の自由が大切」&lt;br /&gt;
　　　↓&lt;br /&gt;
「私の親しい人たちの自由が大切」&lt;br /&gt;
　　　↓&lt;br /&gt;
「私の親しい人たちの友達（友達の友達）自由が大切」&lt;br /&gt;
　　　↓&lt;br /&gt;
「私の親しい人たちの友達のそのまた友達（友達の友達の、そのまた友達）の自由が大切」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これを１０回も繰り返せば、恐らく世界中のひとの自由が大切だということになる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして座標に時間軸を入れるというのは、世界中の人の自由が尊重された状態が未来永劫続くことを思考するということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これを４次元思考という。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ようは、自分の自由が満たされることと、地球の裏側に住む少年・少女の自由が満たされることが同じぐらい重要で大切でなければならない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、それが未来永劫続くこと。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;例えば１０００年後の地球においても全ての人の自由が満たされることが、今の自分の自由が満たされるときに感じる幸せと、同じぐらい幸せを感じなければならないということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらに、自分の死んだあとの１００年後、２００年後、１０００年後であっても、全ての人の自由が尊重された世界が続いていることを願っている、そしてそれに対して行動している人こそ、初めて人間らしい「抽象思考」ができている「自立した大人」なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分の自由は大切だけど、人の自由はどうでもいい、そして自分の自由を満たすために人の自由を奪うというのは、「自由」を大切にしているのではなく「自分の自由」を自由を尊重しているだけのことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして世間ではそのことを「わがまま」という。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私はひとり親として、自由という概念そのものを大切にする人間でありたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分の自由のために、人の自由を奪うようなこと、そして未来の人の自由（子どもの自由）を奪うようなことは絶対にしたくない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
本日はこの辺で。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
明日は、「③真の「自由」は情報空間に存在するにもかかわらず、「自由」が物理空間にあると思っている。」について書いていきたいと思います。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>音楽</dc:subject>

<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
<dc:date>2009-12-12T06:17:53+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-1fe2.html">
<title>飢餓を克服した人類が次に克服すべき問題</title>
<link>http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-1fe2.html</link>
<description>我々人類は、すでに「人類」というレベルにおいては飢えを克服しているということだ。...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;我々人類は、すでに「人類」というレベルにおいては飢えを克服しているということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人類が誕生してからの約４００万年、それは飢えとの戦いという言葉に集約できるほど、あらゆる歴史上の出来事は「飢えの恐怖を克服するため」にあったといっても過言ではないかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして「飢えの克服」に大きく役立った仕組みが「資本主義」という仕組みであり、「共産主義」という仕組みだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;この両主義については、いろんな捕らえ方があり、まったく別物の主義だという見方もできるが、抽象度を上げて眺めてみると、両者ともに「飢えの克服」の手段であり、その共通するモチベーションは「煩悩を深堀すること」である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;我々人類は飢えを克服するために、自らの煩悩（自我・エゴ）を強化し、より豊かに、より豊かにといろんなものを発明し、そして消費してきた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そしてその煩悩の強化によって、成しえたものが「飢えの克服」だったということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、人類にとって最大のテーマであった「飢え」を克服するために、人間は代償を払うことになった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それが「戦争の肯定」と「履き違えた自由主義による洗脳」の２つの代償である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、次に人類が克服しなければならない課題はこの２つだと思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;まず「戦争の肯定」について。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そもそもこの記事を書こうと思ったのは、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞し、その席上のスピーチで「正しい戦争はある」と、とんでもない発言をしたことだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間の良識から考えて「正しい戦争」なんてものはあるわけが無い。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;全ての「戦争」は「悪」に決まっているのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「正しい」とは、人類の誰にとっても良いことであって、ある特定の人や民族に対してのみ良い結果を生むものは「正しい」とは言わない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかも近代における、少なくともフランス革命以降に起こった戦争は、全て資本主義を安定的に維持するための「仕掛けられた」マッチポンプの戦争であり、領土の争いや食料の争いで起きる自然発生的な戦争なんてものは無いのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;考えても見てほしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人間はこれまで散々殺し合いをしてきて、そんなものはもうたくさんだとみんな思っているに違いない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なのになぜかこれだけ満たされた世の中になっても相変わらず戦争をしているのである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これは冷静に考えると、誰かが「仕掛けている」としか思えないし、実際に仕掛けている人間たちがいる。その人たちは、戦争によって莫大な利益を得ることができる立場にいるEstablishmentだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こういったEstablishmentが、戦争の必要性を「仕立て上げられたヒーロー（オバマ大統領）」にプロパカンダさせて、世界中の人々の洗脳状態（戦争は必要だという洗脳）を強化しようとしている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私がこう書く根拠については、これらの本を参考にしてのことです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【洗脳支配ー日本人に富を貢がせるマインドコントロールのすべて】&lt;br /&gt;
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4828414126/httpcocoqubel-22/ref=nosim&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【八百長恐慌! 「サブプライム=国際ネズミ講」を仕掛けたのは誰だ】&lt;br /&gt;
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/488086238X6/httpcocoqubel-22/ref=nosim&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【すでに世界は恐慌に突入したーデリバティブとドルはあと数年で崩壊する】&lt;br /&gt;
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4828415475/httpcocoqubel-22&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【恐慌前夜】&lt;br /&gt;
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396613148/httpcocoqubel-22&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;【ドル亡き後の世界】&lt;br /&gt;
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4396613466/httpcocoqubel-22&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;どの著者が主張していることも、極めて信憑性が高いと思っています。少なくともここに挙げた本は全ての日本人が読むべき本でしょう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;簡単にまとめると、人類が次に克服しなければならない課題というのが「戦争の肯定」と「履き違えた自由主義による洗脳」の２つである。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、「戦争の肯定」を克服しなければならない理由としては、「人類は既に飢えを克服している」ということと、現在起こっている戦争は全て「資本主義を維持させるための戦争である」ということだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;人類は既に飢えを克服しているのであれば、本来資本主義という仕組みすら必要ないし、それを維持させるための仕組みである戦争はもっと必要ない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ただ、現在の人類というレベルでは資本主義に変わる新たな仕組みが発明されていないことから、やむを得ず資本主義を続けており、そのためにやむを得ず戦争もやっているというのが本音だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、そのためにこれだけ多くの人が、既に必要のなくなった戦争によって「作られた飢餓」の状態にいるのは異常だ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;よって、一刻も早く人類は「戦争の肯定」をやめ、地球上から戦争というものをなくすべきなのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;明日は、「自由意志の獲得」について書きたいと思います。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>経済・政治・国際</dc:subject>

<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
<dc:date>2009-12-11T06:57:08+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-9064.html">
<title>教育とは教育者自身の身を律することから</title>
<link>http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-9064.html</link>
<description>昨日の続きになります。 昨日、親としての教育は、子どもに「こうなってほしい、ああ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;昨日の続きになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;昨日、親としての教育は、子どもに「こうなってほしい、ああなってほしい」「こうあってほしい、ああなってほしい」という理想の生き方やあり方を、親自身が自身の身を律して実践することだと書きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;突き詰めていくとなんとも簡単なことなのですが、こんなことに気がつくのにずいぶんと時間がかかったような気がします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここで「なぜ時間がかかったんだろう？」っという問いが生まれました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;なぜ、こんな簡単なことに気がつくのに、こんな時間がかかったのだろう・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こんなわけのワカラン疑問が浮かび上がったとき、私は自分の内側と外側双方の原因を探ることにしています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;恐らく自分の外側の原因としては、「そんなことをいっている人もやっている人も自分の周りにはほとんど居なかった」というのがあると思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私がファザーリング・ジャパンの活動に参加し始めたきっかけは、ロールモデルになるパパが自分の周りに居ないことが、その理由のひとつでした。ようするに「理想の父親ってどんなの？」っていうのを探していたんですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こちらについては、理想的なロールモデルが見つかったというよりも、たくさんのパパの育児に対する考え方や関わり方に触れたことで、改めて自分がどういう父親でありたいのか、父親として何を子どもにして挙げられるのか、残してあげられるのかということを考え、そして実践する良い機会を得ることができました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、自分の内側にある原因ですが・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私としては、ようやく人様に自分の人生観や世界観、そしてそれに向かって自分が今何を考え、何をしようとしていて、実際に今どう行動しているのかということを、堂々と話ができるようになってきたことで、自分の生き方・考え方に少しずつ「自信」が付いてきたのではないかと思っています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さらに内情を書くと、ようやく「この先、自分はこうやって生きて生きたい、こういうものを成しえたい。」という人生のゴールが明確にイメージできてきたということになります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;これまでは、ひたすら「良い父親、笑っている父親、りっぱな父親」といった、抽象的な「Be」しかイメージできていなかったのですが、「何を持って良い父親なのか？」「何を持って笑っている父親なのか？」「何を持って立派な父親なのか？」が自分の中で、いまいち定義できていませんでした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんな中で、ようやくこれに対して自分なりの答えが見つかり、それが大きな「自信」につながっているのかなぁと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
良い父親、笑っている父親、立派な父親の「父親」の部分は「人生」って変えてもいいかもしれないですね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;いずれにしても、親が子どもに対してやるべき最も重要な教育とは、子どもに「こうなってほしい、ああなってほしい」「こうあってほしい、ああなってほしい」という理想の生き方や人としてのあり方を、親自身が、自分の身を律して実践することです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さぁ、今日も気合いれてがんばりましょう！&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>育児</dc:subject>
<dc:subject>親の成長</dc:subject>
<dc:subject>親育て</dc:subject>

<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
<dc:date>2009-12-10T06:28:03+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-fbad.html">
<title>親の教育について最近思うこと</title>
<link>http://coco-qubeley.cocolog-nifty.com/powerofdream/2009/12/post-fbad.html</link>
<description>この１１月で愛娘が４歳になりました。 ここまで大きくなってきたことが原因かどうか...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;この１１月で愛娘が４歳になりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ここまで大きくなってきたことが原因かどうかは定かではないが、ここ最近、私自身の子育ての概念が「育児」から「教育」に大きくシフトしてきているように感じます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「育児」と「教育」がどう違うのかの厳密な切り分けはできていませんが、個人的には次のようか感覚を抱いています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「育児」とは、まだ生まれて間もない「物理的に弱い存在」の子どもを、強い親が守り・育むという、どちらかというと物理空間での大人と子どもの係わり合いをあらわしたもの。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして「教育」とは、ある程度大きくなった「物理的に弱い存在ではなくなった」子どもに、人間としてこうあってほしい、こう生きてほしいという願いをこめて、人類の英知を伝承していく大人と子どもの係わり合いをあらわしたもの。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こんな感覚を抱いています。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;育児については、物理空間上の話なので、大人が何をすればよいのかある意味非常に明確でわかりやすい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆同じ時間を一緒にすごす。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆同じ時間に同じものを食べる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆子どもと一緒になってたくさん遊ぶ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆危険なものは子どもから遠ざける。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;◆生活空間のなかで体同士が触れ合う、ぶつかり合うことを重視する。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;こんな感じになると思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし「教育」となると、私の認識では情報空間における英知の伝承となるので、そもそもが抽象的であり、日々の生活のなかで、具体的に何をすることが教育なのかということをずっと考えていました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そしてここ最近、やっとひとつの方向性というかあるべき姿が見えてきました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それは、子どもに「こうなってほしい」「こう生きてほしい」という願いを、親自身が日々の生活のなかで体現すること、それこそが「教育」だと思うようになりました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;例えば・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「子どもには、夢を持って人生を生きてほしい。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「子どもには、優しい人になってほしい。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「子どもには、自分の意見を堂々と言えるような人になってほしい」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「子どもには、自分が大好きなことを仕事にして生きてほしい。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「子どもには、日々精進して人から尊敬されるような人になってほしい。」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;br /&gt;
普通の親だったら、自分の子どもに対してこういった「期待」は少なからず持っているものだと思います。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そして、そうなってくれることを夢見ながら、日々の生活のなかで、子どもに対して「ああせい、こうせい」と、子どもに口出しします。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もしくは、「あの人は立派だから、ああいった人になりなさい。」と自分が知っている立派な人や、過去の偉人、もしくは今をときめく有名人を理想郷として子どもに教え込みます。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私はこれに対してずっと違和感を持っていました。多分自分が中学生ぐらいのときから・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今でもはっきり覚えているのが、学校の先生が道徳か何かの授業のなかで「○○のような立派な人になりなさい！」っと威勢よく説教しているのを聞いて、「じゃあ、先生は○○のように立派な人なんですか？　そしたらその人じゃなくて、自分を目指せって言えばいいじゃないですか。」といって、こっぴどく怒られた記憶があります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;自分ができもしない、なれもしないのに、子ども（を含む他人）に「ああせい、こうせい」とか「ああなれ、こうなれ」といわれても、まったく説得力がありません。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんな矛盾は子どもでも直ぐにわかります。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;だからこそ、「教育」というのは、「教育する側」が、「教育する内容」を既にマスターしている必要があり、「教育する側」がマスターしているからこそ、「教育される側」は尊敬の念を覚え、「大人（親・先生）のようになりたい」と思うものだと、私は考えるのです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;子どもに対して「教育」や「しつけ」というラベルを借りて、自分のエゴや劣等感を押し付けるかのごとく「ああせい、こうせい」というのは教育でもなんでもない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;子どもに「こうあってほしい」「こう生きてほしい」ということを、親（大人）自らが実践し、日々の生活の中でその生き様を見せることが、何よりも大切な教育だということに、ようやく気がつきました。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>育児</dc:subject>
<dc:subject>親の成長</dc:subject>
<dc:subject>親育て</dc:subject>

<dc:creator>へいちゃん</dc:creator>
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