人生に軸を定めることは本当に重要なことなのだろうか?
今年の6月より相互支援という考え方と実践の勉強会に参加しているのですが、その勉強会・実践会の中で「軸を定めること」に関する話題が出てきました。
同じ実践会の友人の話です。
その友人は好奇心が旺盛でいろいろなことを学び、実践してきた非常に魅力的な友人なのです。
しかし、周りからは常に「軸が定まっていない」「結局何がしたいのか良くわからない」と苦言を呈されることがあり、本人もそのことについて悩み、またあるときは傷ついたという話をしていました。
実は私も同じようなことで悩み・迷いがあったのですが、この軸を定めるということについてようやく自分でも納得のできる持論を持つことができたので、今日はそのことについて書きたいと思います。
私は今、ITコンサルタントという仕事をしております。
私が周りの同僚、上司、もしくは転職エージェントから「軸が定まっていない」「結局何がしたいのかわからない」「そのままだと、ただの器用貧乏で終わるぞ!」っと言われ続けてきたのは、実は仕事のことなのです。
私は、自分がITコンサルタントという職業で独立し、特に集客の苦労を味わうことなく仕事ができているのは、実は他人から「軸が定まっていない」「器用貧乏だ」といわれ続けていた私の考え方や経験が功を奏していると思っています。
こう書くと、「軸を定めることはさほど重要ではないという持論?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。
私は「軸が定まっていない」といわれる度に、「私は本当に軸が定まっていないのだろうか?」という疑問が頭に浮かんでいました。
自分としては軸が定まっているつもりなのですが、どうも他人からみると軸が定まっていないように見えるようなのです。
皆さんの周りにも、もしかしたら「この人、軸がないなぁ~」っと思うことがあるかもしれません。
しかしその人は本当に軸が定まっていないのでしょうか?
たしかに私も軸を定めることは重要なことであると思います。
なぜなら、軸が定まらないことには、自分が持つ(人間がもつ)潜在的なパワーをより大きく発揮することができないからです。
具体的に、軸が定まっていないということは、生きていくうえでの「てこの原理」を使うことができない。
軸を定めるということは、自分が潜在的に持っている力をより大きく発揮するためのレバレッジを利かせるために必要不可欠なものだと思います。
例えば、自分にはどんなことがあったとしても子どもだけは幸せに生きてほしいという強い意志を持ったとしたら、これが「軸」になるわけですね。
これを軸にあらゆる判断基準、価値基準、行動基準ができてきます。
そして「子どもを幸せに育てるには?」「そもそも人間の幸せとは?」など、その軸から発せられる問いに対して学び、実践することが、その人の人生の推進力になり、魅力にもなってゆくものだと思います。
この軸が定まっていないと、あらゆるところで人生の価値基準がブレてしまうんです。
価値基準がブレてしまうということは、自己確立ができない、常に依存してしまう人間になってしまうことを意味します。
さらに簡単にいうと、自分の意見や考えよりも常に他人が「正しい」「上だ」と感じてしまうようになるわけですね。
これは精神的な奴隷状態です。
主体性のない、他人の思惑通りに操作され生きていくロボットになってしまうことを意味します。
人が自立が自立をすることの重要性は、もはやここでくどくどと書く必要は無いと思います。
よって軸を定めることというのは、自己確立という意味においても、そしてより自分の力を発揮するという意味においても非常に大事なことなのです。
しかし、その「軸」というのは、人それぞれの人生観や思考の抽象度によってまったく異なるものになります。
ある人からは軸が定まっていないように思えても、当人にとっては軸が定まっているということもあるのです。
私はこのことについてかなり悩みましたが、ようやく自分でひとつの持論にたどり着きましたので、ここからはその持論について述べたいと思います。
こういった抽象度の高い本質的な事柄については、半径1メートルの話題に置き換えて話を展開するほうがわかりやすいと思いますので、具体的に私の仕事を例に述べたいと思います。
私が人からなぜ軸が定まっていないといわれていたかというと、非常に多岐にわたる分野の仕事を、自らが望んで経験していたからです。
私はIT技術者として十数年のキャリアがあります。
ITという仕事は裾野が広く、いろんな職種が存在します。
例えば「技術」という側面から捉えると、システムアナリスト、システムコンサルタント、ITアーキテクト、データベーススペシャリスト、ネットワークスペシャリスト、アプリケーションスペシャリスト、プロダクトスペシャリスト、プログラマーなど多くの職種、呼称があります。
また「業界」という側面から捉えると、製造業、流通業、通信業、金融業、サービス業、ソフトウェア開発業などこちらも枚挙に暇がありません。
私はサラリーマン時代に都合6社の転職を経験し、その転職先の業界は全て異なっていました。先に書いた業界の例は私が6社の転職で経験した業界です。
そして仕事の内容も、プログラマーからアナリスト、コンサルタントまで幅広く経験しました。
私のような経歴を見ると、○○業界で何十年という諸先輩方は「軸が定まっていない」「何がしたいのかわからない」「ただの器用貧乏」「何でもできるというやつに限って、じつは何もできない」というような苦言をいわれました。
私はそのことに悩み、一時期はある業界のある職種に絞ってキャリアを積んだほうが良いのだろうかと、そういった仕事の仕方も実践しました。
しかしどうしてもあるひとつの狭い分野に自分のキャリアを絞り込むということにものすごい違和感がありました。不快感といってもいいと思います。
そんな気持ちのままで仕事をしていても良い結果が得られるわけがありません。私は早々にそういった仕事の仕方をやめました。
なぜキャリア・専門分野を絞り込もうとすると違和感があるのだろう、不快感があるのだろうかといろいろと考えた結果、ひとつの結論にたどり着きました。
私はITに強いビジネスエキスパートになりたいのだ。
ITを使ってビジネス上の、もっというと世の中にある問題を解決するエキスパートになりたい。
それが私の軸なのだ。
これは、○○スペシャリストよりも抽象度の高い「軸」になるのです。
結果、私はITコンサルタントとして、業界を問わずさまざまなお客様の支援をさせていただいております。
技術の側面から見ても、幅広い知識と経験があるので、それぞれのスペシャリストに対してディレクションすることができます。ディレクションをするには全体の絵が見えていなければならないのですが、あるひとつの分野の知識・経験しかないと、この全体の絵が描けないんですね。
なので私はプログラマーともシステムアナリストともネットワークスペシャリストともプロジェクトマネージャとも、彼らが持つ抽象度で会話をすることができます。
さらには経営者とも中間管理職ともラインスタッフとも、彼らが持つ抽象度で会話をすることができます。
それに対して業界は問いません。
私の中には、それぞれの層と会話をするうえでの普遍的なフレームワークがあるからです。
この普遍的なフレームワークというのは、まさに高い抽象度を持たないと自分で作り出すことも、使いこなすこともできないものなのです。
ここで抽象度の高い軸と低い軸について解説します。
抽象度とはある事柄の階層構造のことですね。
三毛猫のタマ→ネコ→哺乳類→動物→生物→有機物といった階層構造の中で、右に行けばいくほど抽象度が高いということになります。
私の仕事のケースだと、プログラマーやデータベーススペシャリストよりも、ビジネスエキスパートのほうが抽象度が高いということがいえると思います。
なぜならビジネスエキスパートの中には、IT以外にもいろいろな要素が含まれるからです。
ネコという要素よりも哺乳類、哺乳類という要素よりも動物という要素のほうが、より多くの要素を含むのと同じ考え方です。
そして、低い抽象度ほどわかりやすく具体的であり、高い抽象度の要素ほど抽象的でわかりにくいという特徴があります。
これが抽象度の高い、低いということです。
話を「軸」に戻しましょう。
軸には低い抽象度の軸と高い抽象度の軸があります。
低い抽象度の軸ほど具体的でわかりやすいため、人からも理解されやすく、構成要素が単純であるという特徴があります。
逆に高い抽象度の軸というのは、文字通り抽象的であるため他人から理解されにくく、構成要素が複雑であるという特徴があります。
この高い抽象度の軸を持つ人というのは、人から「軸が定まっていない」といわれることが多いのではないでしょうか?
極端な話をすると、○○という会社で部長になりたいという軸をもつ人から、「この世の中から飢えと争いをなくしたい。」という軸を持っている人を見ると、まるで夢物語であり「軸が定まっていない」ように見えるでしょう。
よもすると「ばかじゃないの?」って思われかねません。
しかし、後者の人がそれに対して高い臨場感をもって軸が定まっていれば、それはその人の立派な軸になるのです。
軸とは先に書いたとおり、全ての判断基準であり、価値基準であり、行動基準になります。
この人は、「この世の中から飢えと争いをなくしたい。」という思いから、全ての判断基準、価値基準、行動基準が定まります。
そして高い抽象度ほど、その配下にある低い抽象度を包含する特徴があるのです。
例えば日産のカルロス・ゴーン社長は、経営者という仕事はどこの会社にいっても同じだということを言っています。
経営者というビジネスの世界では極めて抽象度の高い仕事というのは、どの業界、業種に行ってもさほど変わりは無いといっているのです。
これは高い抽象度の要素は、その配下にある要素を包含するという良い例だと思います。
そして抽象度の高低は、そのままてこの原理を応用して得られる力にも直接的な影響を与えます。
このあたりについても、てこの原理を用いて考察してみましょう。
ご存知のとおり、てこは「支点」「力点」「作用点」という3つの要素から成り立っています。
ここからはてこを3Dの立体でイメージしながら読んでみてください。
「軸」とはまさに、てこの「支点」にあたる部分ですね。
一般的に、てこの支点は三角柱を横に寝せた状態で描かれます。抽象度の高低はこの三角柱を横に寝せた状態の高さだと思ってください。
真横から見た2Dで考えると、三角形の高さに相当する部分ですね。
次に支点の上にのっかる板もしくは棒状の要素についてです。
てこから得られる力というのは、支点から力点までの距離と、力点から作用点までの距離、そして力点に加える力の相互的な関係によって決まります。
支点から力点までの距離が長いほど、一般的には力点に加える力は少なくてすみますが、この力点から作用点までの長さを、私は知識・知恵・情報・経験の質量に置き換えました。
物理的に高い支点のてこには、それに応じた長い板く丈夫なが必要になります。
低い支点のてこに、それほど長い板を用意しても得られる結果はあまり変わらないですよね?
高さ30cmの支点をもつてこと、高さ3cmの支点をもつてこに対して、どちらに長くて丈夫な板が必要か?そしてどちらのてこから得られる力が大きいかは、感覚的にご理解いただけると思います。
つまり、高い支点をもつてこには、それにふさわしい長くて丈夫な板が必要であり、高い抽象度の軸にはそれにふさわしい良質・多量の知識・知恵・情報・経験が必要だということです。
そして力点に加える力についてですが、これはエモーション・情熱にあたる部分だと思います。
そのてこにどれだけの力を注ぐことができるかは、軸に対する情熱そのものということですね。
いくら立派な軸と板があっても、力を注ぐことができなければその対象を動かすことはできません。
そして最後に、支点から作用点までの距離。
てこの原理では、支点から作用点までの距離が短いほうが、より大きくの力を得ることができます。
この支点から作用点までの距離について、私は「臨場感」に置き換えました。
つまり、高い臨場感を感じることができるということは、仮想的にも物理的にも軸と非常に近い距離にあるということ、逆に高い臨場感を感じられないということは、軸から作用点までに対して距離があるということです。
よって軸に対して高い臨場感を持つということは、対象に対して親近感がある、力点から作用点までの距離が近い状態に置き換えることができます。
この人生の軸を決めることとてこの原理を図解すると、このようになります。
※ここクリックすると大きくなります。
いかがでしょうか?
私は「軸が定まっていない」と言われつづけてきていろいろと悩んだのですが、結果としてこのような持論にたどり着きました。
ここでのポイントは高い抽象度を持つと、より多くの「作用」、つまり成果を得ることができるということですが、それと同じぐらい重要なポイントがもうひとつあります。
それは対象に対する臨場感です。
臨場感については、作用点と支点の距離に置きかえましたが、対象について近い距離=高い臨場感を保つことができないとやはり大きな力を得ることはできないのです。
よって闇雲に高い支点、高い抽象度の軸を持つことが良いというわけではありません。
人間は高い臨場感をもてないと、行動することができないという特徴があります。
おなかがすいているときに、テレビの中のおいしそうな料理よりも、目の前のおにぎりに手が伸びるのは、目の前のおにぎりにがより自分の空腹を満たすことができるということに対して臨場感があるためです。
そしてこの臨場感が力点に加える力の源泉にもなるのです。
臨場感が低く、そこに力を注ぐことができないということは、それは行動が伴わない「絵に描いた餅」ということです。
それであれば、たとえ抽象度は低くてもそれに高い臨場感をもって力を注ぐことのできる軸を持つことがよほど重要だということになります。
長々と書いてきましたが、「①軸が定まっている・定まっていないというのは本人の主観的な感覚であり、他人が客観的に評価するものでもできるものでもないということ。」
「②抽象度の高い軸というのは他人からは理解しづらく、「軸が定まっていない」と誤解されることがるということ。」「③軸を定めることは人生のレバレッジを利かせることである。」「④レバレッジで得られる力は、抽象度の高さと臨場感の高さの相互作用による。」の4つを結論にしたいと思います。
私はこの結論にたどり着いて、人から「軸が定まっていない」といわれてもなんとも感じなくなりました。
逆に「あぁ自分はこの人よりも高い抽象度で物事を捉えているんだ」と感じられるようになりました。これは優越感とかではなく、もっと異質のものですね。客観性という表現のほうが合うかもしれません。
とにかく「軸が定まっていない」ということに対して「なんだと?!」っとむかっ腹が立つことも無くなり、「自分は本当にこのままでいいのだろうか?」と自分の考えがぶれることもなくなりました。
この考え方が、少しでも私の友人そして同じようなことで悩んだり考え込んだりしている人の助けになればと思います。
長文に御付き合い頂きありがとうございました。