教育とは教育者自身の身を律することから
昨日の続きになります。
昨日、親としての教育は、子どもに「こうなってほしい、ああなってほしい」「こうあってほしい、ああなってほしい」という理想の生き方やあり方を、親自身が自身の身を律して実践することだと書きました。
突き詰めていくとなんとも簡単なことなのですが、こんなことに気がつくのにずいぶんと時間がかかったような気がします。
ここで「なぜ時間がかかったんだろう?」っという問いが生まれました。
なぜ、こんな簡単なことに気がつくのに、こんな時間がかかったのだろう・・・
こんなわけのワカラン疑問が浮かび上がったとき、私は自分の内側と外側双方の原因を探ることにしています。
恐らく自分の外側の原因としては、「そんなことをいっている人もやっている人も自分の周りにはほとんど居なかった」というのがあると思います。
私がファザーリング・ジャパンの活動に参加し始めたきっかけは、ロールモデルになるパパが自分の周りに居ないことが、その理由のひとつでした。ようするに「理想の父親ってどんなの?」っていうのを探していたんですね。
こちらについては、理想的なロールモデルが見つかったというよりも、たくさんのパパの育児に対する考え方や関わり方に触れたことで、改めて自分がどういう父親でありたいのか、父親として何を子どもにして挙げられるのか、残してあげられるのかということを考え、そして実践する良い機会を得ることができました。
そして、自分の内側にある原因ですが・・・
私としては、ようやく人様に自分の人生観や世界観、そしてそれに向かって自分が今何を考え、何をしようとしていて、実際に今どう行動しているのかということを、堂々と話ができるようになってきたことで、自分の生き方・考え方に少しずつ「自信」が付いてきたのではないかと思っています。
さらに内情を書くと、ようやく「この先、自分はこうやって生きて生きたい、こういうものを成しえたい。」という人生のゴールが明確にイメージできてきたということになります。
これまでは、ひたすら「良い父親、笑っている父親、りっぱな父親」といった、抽象的な「Be」しかイメージできていなかったのですが、「何を持って良い父親なのか?」「何を持って笑っている父親なのか?」「何を持って立派な父親なのか?」が自分の中で、いまいち定義できていませんでした。
そんな中で、ようやくこれに対して自分なりの答えが見つかり、それが大きな「自信」につながっているのかなぁと思います。
良い父親、笑っている父親、立派な父親の「父親」の部分は「人生」って変えてもいいかもしれないですね。
いずれにしても、親が子どもに対してやるべき最も重要な教育とは、子どもに「こうなってほしい、ああなってほしい」「こうあってほしい、ああなってほしい」という理想の生き方や人としてのあり方を、親自身が、自分の身を律して実践することです。
さぁ、今日も気合いれてがんばりましょう!
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