カテゴリー「親育て」の1件の記事

精神の成長と煩悩の関係

昨日のブログは下記の様な文章で締めくくりました。

しかし、今回書いたことは、みんなが聖人君子を目指しましょうってことになっていますが、これが地球上で達成されるには、あと数百年かかるのではないでしょうか?

そうであれば、ある程度は煩悩を満たしてあげつつ、同時に抽象度の高い思考・視点を身につける必要があるのではないかと思います。

今日はこのあたりを考察していきましょう。

まずは「煩悩」なるものを具体的に定義してみたいと思います。

煩悩とは何なのでしょうか?

Wikipediaによると煩悩とは「心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働きを言う。」とあります。

うぅ~ん… どうもしっくりきませんね。

っということで、煩悩とかエゴについてはいろいろと調べた結果、苫米地先生が書かれている著書にあった表現がもっともストレートでわかりやすい表現だったのでそちらで定義してみたいと思います。

苫米地先生は、煩悩とは人間の原始的な脳から発せられる強烈な「種の保存」欲求だと説かれています。

これについては、ちょっと解説が必要だと思います。

例えばある男性が、「俺は年収1億かせいで、車はエンッオ・フェラーリで、六本木のミッドタウンに住みたい!」という夢というか欲望を持っていたとします。

これって一般的に煩悩が強いと解釈されると思います。(「大きい」のではなく「強い」のです。)

一方、「僕は食いっぱぐれない程度の年収で、車は自転車、住むところはこじんまりとした賃貸住宅でいいや。」っていう男性がいたとします。

この両者を比べたら、明らかに前者の男性のほうが煩悩が「強い」ですよね。

そして、この2人の男性を比べたときに、どちらがより「種の保存」、イコール自分の遺伝子を残したいという欲求が強いかというと明らかに前者の男性のほうが強いのです。

要するに、「俺は年収1億かせいで、車はエンッオ・フェラーリで、六本木ヒルズに住みたい!」っという願望の中に、「これだけのものをもっていたら俺はもてるだろう」「もてるということは、自分の遺伝子を残す機会をよりたくさん得ることができるだろう」という原始的な欲求が隠されているのです。

この例をいろいろな「欲」に当てはめると、実にわかりやすいですよね。

「○○がほしい」「○○したい」「○○に行きたい」e.t.c...

あらゆる欲望の根源にあるのは、「より異性にもてたい」「自分の遺伝子をより多く残したい」という原始的な欲求が根源であり、この欲望を「煩悩」と読み替えると、煩悩の正体がよりはっきりと見えるのではないかと思います。

こう煩悩を定義すると、こういった「自分勝手な欲望」がなかなか手にできない、要するに自分の思い通りにならないからこそ、Wikipediaにある「心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働きを言う。」という状態になるのではないかと思うのです。

煩悩の正体と、煩悩が強ければ強いほど「心を乱し悩ませ智慧を妨げる心の働き」が活性化されてしまうメカニズムについて定義してみました。

だからお釈迦様は「煩悩はほどほどにね。」っと説いているわけですね。
お釈迦様は煩悩の本質を良くお分かりだったんですね。

「ほどほどにね。」っと言っているのは、煩悩がなくなるってことは、「種の保存本能をなくす」ということであり、結果人類が絶滅への道になってしまうからです。

仏教の流派によっては、「煩悩=悪」であり、解脱によって煩悩にさよならしましょうという教えがあるようですが、これはお釈迦様の教えではないようです。

うわ!

煩悩の解説と考察で結構な文量になってしまいましたね…

それでは、「ある程度は煩悩を満たしてあげつつ、同時に抽象度の高い思考・視点を身につける」のテーマについては、明日引き続き考察していきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)