子どもに学歴を求めますか?
超ひさびさの更新になりました。
私が社員を勤めさせていただいているファザーリングジャパンのメーリングリストでちょっとおもしろい話題が展開されていますので、その中で私が述べた持論を投稿しておきたいと思います。
きっかけは、FJママ社員さんのこういった問いかけからでした。
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最近、ママ友から「主人と教育方針が合わない!」
という話をよく聞きます。それも、0歳児ママから…
昨日、私の講座にご参加されたママも、
「子供の持っている力を伸ばしたいママと 教育パパの食い違い…」
かなり悩んでいらっしゃいました。
~中略~
皆さんは、お子さまに学歴を求めますか?
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この問いに関する私の意見を投稿します。
ココカラ↓
私は子どもに対して全く学歴というものを求めません。
理由は3つあります。
1つめは現在文科相が主導的に行っている教育の内容は、明らかに時代遅れであること。
2つめは学歴と子どもの幸せには何の因果関係も無いこと。
3つめは私自身が「低学歴」であるにもかかわらず、経済的にも精神的にも満たされた生活をしていること。
ひとつめの教育内容が時代遅れというのは、現在の学校制が始まった明治時代から根本的には何も変わっていないということです。
教育とは時代によって求められる内容が変わっていくべきものであると思います。
※もちろん普遍的なものもあると思います。
明治時代に始まった学校制の背景には富国強兵という金看板があります。
そして国のために滅私奉公的に従うソルジャーを育てるために始まった教育が今でも連綿と続いている。
これだけ成熟した社会に入っても、自分で物事を考えず、常に親方にすがらなければ生きることができないソルジャーを大量生産するような教育は明らかに時代遅れだと思います。
ふたつめの学歴と幸せの因果関係については、この「学歴」が「学びたいことを自ら進んで学んだ履歴」のことを指すのであれば、これは因果関係が成り立つと思います。
しかし、現在我々が一般的に使っている学歴は「学校の卒業履歴」であって、ほとんどの人にとっては「やりたくないことを無理やりやらされてきた履歴」なのではないでしょうか?
例えば私は今でも月平均でのべ40~50冊程度の本を読み、毎月数本のセミナー・講演会・勉強会に出席していますが、こういったものはなぜか学歴に加えられません。
学校以外の勉強は自分が好きで楽しくやっているものなのですが、これらは学歴って言わない…
仕事でもそうだと思いますが、明らかに人から「やれ」といわれてやる仕事よりも自分が好きで楽しいと思える仕事をするほうが成果がでる。
ビジネスの最前線でも、きっとこういった大好きなことを勉強し、仕事をしてきた人のほうが重宝されて然るべきだと思うのです。
なのに我々の多くは、なぜか「幸せになるには苦痛に耐えなければ」という、なにか変な洗脳にかかっているんです。(この洗脳は学校教育中に施される)
お釈迦様は2500年も前に幸せになるために難行・苦行に身をおくことは無駄であると説いたにも関わらず、なぜか幸せになるためには難行苦行が必要と考える人が圧倒的にいる・・・
ちょっと考えればどちらがより幸せかすぐにわかると思うんですけど・・・・
最後に自分自身の経験ですが、私は宮崎の片田舎の農業高校しか卒業していません。
そして現在、私はITコンサルタントとして独立して仕事をしていますが、学歴のハンディキャップは感じたことが無いです。
ITの仕事は好きだから、必要なスキルは全部独学と経験で身につけました。
経済的にも、恐らく今のサラリーマンの平均的な年収の2倍程度は稼げているし、平日の昼間に子どもと公園で戯れながらビールを煽る自由もある(笑)
独立前もBMWやDOLCE&GABBANAといったそれなりの大学を出ていても中々入れないような会社にヘッドハンティングされて働かせていただく幸運に恵まれました。
多分最終学歴が農業高校卒業でBMWやDOLCE&GABBANAで働いたことのある人間は
世界でも恐らく私一人だと思うのですが、ここでも学歴は全く問われませんでした。
このような理由と自分自身の体験から、子どもに学歴を求めることは全くナンセンスであり逆に子どもが持っている潜在能力、内発的動機を潰す元凶になっていると思っています。
あ、学歴を子どもに求める親御さんのことを非難しているわけではなく、私はこのように思っているという話です。
表現的に誤解を招きやすいと思いますが、他意はございません。
↑ココマデ
学歴を求める親御さんのほとんどは、恐らく「就職する」ことが前提の人生を描いており、高学歴のほうが選択肢が広がるというのも、恐らく高学歴のほうが就職する選択肢が広がるという思考回路が働かれているのだと思います。
受験とか就職なんて椅子取りゲームとおなじ。
ゲームの主催者と椅子を用意してくれる人、そしてゲームに参加したい人がいて初めて成り立つ世界。
そしてどんな状況でも得(≠徳)をするのはゲームの主催者(オーナー/支配者)なのだ。
主催者や椅子を用意してくれる人、そしてそんなしょぼいゲームに興味のある人がいなくなる世界は目の前に迫っているのに、それに気付かない人たちって・・・
もう少し歴史学や心理学をはじめとする生きた「勉強」したほうがいい。
こんな「椅子取りゲーム」みたいなことに貴重な時間を割くよりも、自分で椅子を創るほうがよっぽど生産的で楽しいのではないだろうか・・・
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