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2008年9月

人生の軸を定めるということは?

人生に軸を定めることは本当に重要なことなのだろうか?

今年の6月より相互支援という考え方と実践の勉強会に参加しているのですが、その勉強会・実践会の中で「軸を定めること」に関する話題が出てきました。

同じ実践会の友人の話です。
その友人は好奇心が旺盛でいろいろなことを学び、実践してきた非常に魅力的な友人なのです。
しかし、周りからは常に「軸が定まっていない」「結局何がしたいのか良くわからない」と苦言を呈されることがあり、本人もそのことについて悩み、またあるときは傷ついたという話をしていました。

実は私も同じようなことで悩み・迷いがあったのですが、この軸を定めるということについてようやく自分でも納得のできる持論を持つことができたので、今日はそのことについて書きたいと思います。

私は今、ITコンサルタントという仕事をしております。

私が周りの同僚、上司、もしくは転職エージェントから「軸が定まっていない」「結局何がしたいのかわからない」「そのままだと、ただの器用貧乏で終わるぞ!」っと言われ続けてきたのは、実は仕事のことなのです。

私は、自分がITコンサルタントという職業で独立し、特に集客の苦労を味わうことなく仕事ができているのは、実は他人から「軸が定まっていない」「器用貧乏だ」といわれ続けていた私の考え方や経験が功を奏していると思っています。

こう書くと、「軸を定めることはさほど重要ではないという持論?」と思われるかもしれませんが、そうではありません。

私は「軸が定まっていない」といわれる度に、「私は本当に軸が定まっていないのだろうか?」という疑問が頭に浮かんでいました。

自分としては軸が定まっているつもりなのですが、どうも他人からみると軸が定まっていないように見えるようなのです。

皆さんの周りにも、もしかしたら「この人、軸がないなぁ~」っと思うことがあるかもしれません。

しかしその人は本当に軸が定まっていないのでしょうか?

たしかに私も軸を定めることは重要なことであると思います。

なぜなら、軸が定まらないことには、自分が持つ(人間がもつ)潜在的なパワーをより大きく発揮することができないからです。

具体的に、軸が定まっていないということは、生きていくうえでの「てこの原理」を使うことができない。

軸を定めるということは、自分が潜在的に持っている力をより大きく発揮するためのレバレッジを利かせるために必要不可欠なものだと思います。

例えば、自分にはどんなことがあったとしても子どもだけは幸せに生きてほしいという強い意志を持ったとしたら、これが「軸」になるわけですね。

これを軸にあらゆる判断基準、価値基準、行動基準ができてきます。

そして「子どもを幸せに育てるには?」「そもそも人間の幸せとは?」など、その軸から発せられる問いに対して学び、実践することが、その人の人生の推進力になり、魅力にもなってゆくものだと思います。

この軸が定まっていないと、あらゆるところで人生の価値基準がブレてしまうんです。

価値基準がブレてしまうということは、自己確立ができない、常に依存してしまう人間になってしまうことを意味します。

さらに簡単にいうと、自分の意見や考えよりも常に他人が「正しい」「上だ」と感じてしまうようになるわけですね。

これは精神的な奴隷状態です。
主体性のない、他人の思惑通りに操作され生きていくロボットになってしまうことを意味します。

人が自立が自立をすることの重要性は、もはやここでくどくどと書く必要は無いと思います。

よって軸を定めることというのは、自己確立という意味においても、そしてより自分の力を発揮するという意味においても非常に大事なことなのです。

しかし、その「軸」というのは、人それぞれの人生観や思考の抽象度によってまったく異なるものになります。
ある人からは軸が定まっていないように思えても、当人にとっては軸が定まっているということもあるのです。

私はこのことについてかなり悩みましたが、ようやく自分でひとつの持論にたどり着きましたので、ここからはその持論について述べたいと思います。

こういった抽象度の高い本質的な事柄については、半径1メートルの話題に置き換えて話を展開するほうがわかりやすいと思いますので、具体的に私の仕事を例に述べたいと思います。

私が人からなぜ軸が定まっていないといわれていたかというと、非常に多岐にわたる分野の仕事を、自らが望んで経験していたからです。

私はIT技術者として十数年のキャリアがあります。

ITという仕事は裾野が広く、いろんな職種が存在します。

例えば「技術」という側面から捉えると、システムアナリスト、システムコンサルタント、ITアーキテクト、データベーススペシャリスト、ネットワークスペシャリスト、アプリケーションスペシャリスト、プロダクトスペシャリスト、プログラマーなど多くの職種、呼称があります。

また「業界」という側面から捉えると、製造業、流通業、通信業、金融業、サービス業、ソフトウェア開発業などこちらも枚挙に暇がありません。

私はサラリーマン時代に都合6社の転職を経験し、その転職先の業界は全て異なっていました。先に書いた業界の例は私が6社の転職で経験した業界です。

そして仕事の内容も、プログラマーからアナリスト、コンサルタントまで幅広く経験しました。

私のような経歴を見ると、○○業界で何十年という諸先輩方は「軸が定まっていない」「何がしたいのかわからない」「ただの器用貧乏」「何でもできるというやつに限って、じつは何もできない」というような苦言をいわれました。

私はそのことに悩み、一時期はある業界のある職種に絞ってキャリアを積んだほうが良いのだろうかと、そういった仕事の仕方も実践しました。

しかしどうしてもあるひとつの狭い分野に自分のキャリアを絞り込むということにものすごい違和感がありました。不快感といってもいいと思います。

そんな気持ちのままで仕事をしていても良い結果が得られるわけがありません。私は早々にそういった仕事の仕方をやめました。

なぜキャリア・専門分野を絞り込もうとすると違和感があるのだろう、不快感があるのだろうかといろいろと考えた結果、ひとつの結論にたどり着きました。

私はITに強いビジネスエキスパートになりたいのだ。
ITを使ってビジネス上の、もっというと世の中にある問題を解決するエキスパートになりたい。
それが私の軸なのだ。

これは、○○スペシャリストよりも抽象度の高い「軸」になるのです。
結果、私はITコンサルタントとして、業界を問わずさまざまなお客様の支援をさせていただいております。

技術の側面から見ても、幅広い知識と経験があるので、それぞれのスペシャリストに対してディレクションすることができます。ディレクションをするには全体の絵が見えていなければならないのですが、あるひとつの分野の知識・経験しかないと、この全体の絵が描けないんですね。

なので私はプログラマーともシステムアナリストともネットワークスペシャリストともプロジェクトマネージャとも、彼らが持つ抽象度で会話をすることができます。

さらには経営者とも中間管理職ともラインスタッフとも、彼らが持つ抽象度で会話をすることができます。

それに対して業界は問いません。
私の中には、それぞれの層と会話をするうえでの普遍的なフレームワークがあるからです。

この普遍的なフレームワークというのは、まさに高い抽象度を持たないと自分で作り出すことも、使いこなすこともできないものなのです。

ここで抽象度の高い軸と低い軸について解説します。

抽象度とはある事柄の階層構造のことですね。

三毛猫のタマ→ネコ→哺乳類→動物→生物→有機物といった階層構造の中で、右に行けばいくほど抽象度が高いということになります。

私の仕事のケースだと、プログラマーやデータベーススペシャリストよりも、ビジネスエキスパートのほうが抽象度が高いということがいえると思います。

なぜならビジネスエキスパートの中には、IT以外にもいろいろな要素が含まれるからです。

ネコという要素よりも哺乳類、哺乳類という要素よりも動物という要素のほうが、より多くの要素を含むのと同じ考え方です。

そして、低い抽象度ほどわかりやすく具体的であり、高い抽象度の要素ほど抽象的でわかりにくいという特徴があります。

これが抽象度の高い、低いということです。

話を「軸」に戻しましょう。

軸には低い抽象度の軸と高い抽象度の軸があります。

低い抽象度の軸ほど具体的でわかりやすいため、人からも理解されやすく、構成要素が単純であるという特徴があります。

逆に高い抽象度の軸というのは、文字通り抽象的であるため他人から理解されにくく、構成要素が複雑であるという特徴があります。

この高い抽象度の軸を持つ人というのは、人から「軸が定まっていない」といわれることが多いのではないでしょうか?

極端な話をすると、○○という会社で部長になりたいという軸をもつ人から、「この世の中から飢えと争いをなくしたい。」という軸を持っている人を見ると、まるで夢物語であり「軸が定まっていない」ように見えるでしょう。

よもすると「ばかじゃないの?」って思われかねません。

しかし、後者の人がそれに対して高い臨場感をもって軸が定まっていれば、それはその人の立派な軸になるのです。

軸とは先に書いたとおり、全ての判断基準であり、価値基準であり、行動基準になります。
この人は、「この世の中から飢えと争いをなくしたい。」という思いから、全ての判断基準、価値基準、行動基準が定まります。

そして高い抽象度ほど、その配下にある低い抽象度を包含する特徴があるのです。

例えば日産のカルロス・ゴーン社長は、経営者という仕事はどこの会社にいっても同じだということを言っています。

経営者というビジネスの世界では極めて抽象度の高い仕事というのは、どの業界、業種に行ってもさほど変わりは無いといっているのです。

これは高い抽象度の要素は、その配下にある要素を包含するという良い例だと思います。

そして抽象度の高低は、そのままてこの原理を応用して得られる力にも直接的な影響を与えます。

このあたりについても、てこの原理を用いて考察してみましょう。

ご存知のとおり、てこは「支点」「力点」「作用点」という3つの要素から成り立っています。
ここからはてこを3Dの立体でイメージしながら読んでみてください。

「軸」とはまさに、てこの「支点」にあたる部分ですね。

一般的に、てこの支点は三角柱を横に寝せた状態で描かれます。抽象度の高低はこの三角柱を横に寝せた状態の高さだと思ってください。
真横から見た2Dで考えると、三角形の高さに相当する部分ですね。

次に支点の上にのっかる板もしくは棒状の要素についてです。

てこから得られる力というのは、支点から力点までの距離と、力点から作用点までの距離、そして力点に加える力の相互的な関係によって決まります。

支点から力点までの距離が長いほど、一般的には力点に加える力は少なくてすみますが、この力点から作用点までの長さを、私は知識・知恵・情報・経験の質量に置き換えました。

物理的に高い支点のてこには、それに応じた長い板く丈夫なが必要になります。
低い支点のてこに、それほど長い板を用意しても得られる結果はあまり変わらないですよね?

高さ30cmの支点をもつてこと、高さ3cmの支点をもつてこに対して、どちらに長くて丈夫な板が必要か?そしてどちらのてこから得られる力が大きいかは、感覚的にご理解いただけると思います。

つまり、高い支点をもつてこには、それにふさわしい長くて丈夫な板が必要であり、高い抽象度の軸にはそれにふさわしい良質・多量の知識・知恵・情報・経験が必要だということです。

そして力点に加える力についてですが、これはエモーション・情熱にあたる部分だと思います。

そのてこにどれだけの力を注ぐことができるかは、軸に対する情熱そのものということですね。

いくら立派な軸と板があっても、力を注ぐことができなければその対象を動かすことはできません。

そして最後に、支点から作用点までの距離。
てこの原理では、支点から作用点までの距離が短いほうが、より大きくの力を得ることができます。

この支点から作用点までの距離について、私は「臨場感」に置き換えました。

つまり、高い臨場感を感じることができるということは、仮想的にも物理的にも軸と非常に近い距離にあるということ、逆に高い臨場感を感じられないということは、軸から作用点までに対して距離があるということです。

よって軸に対して高い臨場感を持つということは、対象に対して親近感がある、力点から作用点までの距離が近い状態に置き換えることができます。

この人生の軸を決めることとてこの原理を図解すると、このようになります。
ここクリックすると大きくなります。

Leverage











いかがでしょうか?

私は「軸が定まっていない」と言われつづけてきていろいろと悩んだのですが、結果としてこのような持論にたどり着きました。

ここでのポイントは高い抽象度を持つと、より多くの「作用」、つまり成果を得ることができるということですが、それと同じぐらい重要なポイントがもうひとつあります。

それは対象に対する臨場感です。
臨場感については、作用点と支点の距離に置きかえましたが、対象について近い距離=高い臨場感を保つことができないとやはり大きな力を得ることはできないのです。

よって闇雲に高い支点、高い抽象度の軸を持つことが良いというわけではありません。

人間は高い臨場感をもてないと、行動することができないという特徴があります。

おなかがすいているときに、テレビの中のおいしそうな料理よりも、目の前のおにぎりに手が伸びるのは、目の前のおにぎりにがより自分の空腹を満たすことができるということに対して臨場感があるためです。

そしてこの臨場感が力点に加える力の源泉にもなるのです。
臨場感が低く、そこに力を注ぐことができないということは、それは行動が伴わない「絵に描いた餅」ということです。

それであれば、たとえ抽象度は低くてもそれに高い臨場感をもって力を注ぐことのできる軸を持つことがよほど重要だということになります。

長々と書いてきましたが、「①軸が定まっている・定まっていないというのは本人の主観的な感覚であり、他人が客観的に評価するものでもできるものでもないということ。」
「②抽象度の高い軸というのは他人からは理解しづらく、「軸が定まっていない」と誤解されることがるということ。」「③軸を定めることは人生のレバレッジを利かせることである。」「④レバレッジで得られる力は、抽象度の高さと臨場感の高さの相互作用による。」の4つを結論にしたいと思います。

私はこの結論にたどり着いて、人から「軸が定まっていない」といわれてもなんとも感じなくなりました。

逆に「あぁ自分はこの人よりも高い抽象度で物事を捉えているんだ」と感じられるようになりました。これは優越感とかではなく、もっと異質のものですね。客観性という表現のほうが合うかもしれません。

とにかく「軸が定まっていない」ということに対して「なんだと?!」っとむかっ腹が立つことも無くなり、「自分は本当にこのままでいいのだろうか?」と自分の考えがぶれることもなくなりました。

この考え方が、少しでも私の友人そして同じようなことで悩んだり考え込んだりしている人の助けになればと思います。

長文に御付き合い頂きありがとうございました。

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自分の才能を掘り下げてみる

昨日は毎回楽しみにしているスリーインワン研究会でした。

今回のテーマ本は「さぁ、才能に目覚めよう」という本です。

勝間さんがご著書で紹介されてかなり有名になった本ですね。初版は2001年と意外に古いのですが、最近は書店さんに平積みにされているのを良く見かけますね。

この本を買うと、その本に印刷されているIDを用いて、連動するWebサイトでストレングス・ファインダーというオンラインテストを受講することができます。

私がオンラインテストを受講して出てきた強みは以下の5つでした。

①収集心 ②最上思考 ③内省 ④戦略性 ⑤学習欲

そしてここからがスリーインワン研究会の真骨頂。

こちらの強みは「顕在意識」で答えたテストで導き出された才能なので、もしかしたら潜在意識下には別の才能が隠れているのではないか?

こういった極めて本質的な疑問を確かめるため、精密筋反射テストをもちいて潜在意識下にある才能を調べていきます。

その結果導き出されたのは次の才能でした。

①最上志向 ②社交性 ③着想 ④信念 ⑤包含

意識的にも無意識的にも「最上志向」の才能が含まれていますね(笑)

この潜在意識下での才能を導き出したところで、ハッと気付いたことがありました。

そうか!顕在意識上で導き出した才能は自分が「仕事モード」、交感神経がバリバリに活性化しているときに発揮している能力であり、潜在意識下で導き出した才能はリラックスモードというか、副交感神経が活発なときに使っているナチュラルな才能だわ!・・・と。

こういったテストは自分を客観的に見る上で非常に役に立つし、かつこれからの時代を生きる上で、不可欠な視点です。

なぜ自分の能力を客観的に捉える必要があるのか?
これについては、また別の機会に書きますね。(書きかけたらものすごい量になってしまった・・・)

スリーインワン研究会のレポートに話を戻します。

さて、この次に導き出された5つの才能を、五行思想の木火土金水に当てはめていきます。

これは筋反射テストでどの能力が五行のどの要素にあたるのかを調査しました。

結果、私のケースでは以下のとおりになりました。

木:最上志向 → 火:内証 → 土:収集心 → 金:戦略性 → 水:学習欲

なぜ才能を五行に当てはめるかというと、五行思想には「相生」という考え方があります。簡単に説明すると、木火土金水それぞれの要素が順送りに相手を生み出していくという考え方ですね。

木生火:木は燃えて火を生む。
火生土:物が燃えればあとには灰が残り、灰は土に帰る。
土生金:鉱物・金属の多くは土の中にあり、土を掘ることによってその金属を得ることができる。
金生水:金属の表面には凝結により水が生じる。
水生木:木は水によって養われ、水がなければ木は枯れてしまう。

このような考え方です。

これを自分の才能に当てはめて、才能の相生物語を作ってみます。

目的は、もし自分の才能が如何なく発揮できれば、どのような人生になるのかをシミュレーションすることです。

私は自分の才能について、次のように相生物語を書いてみました。

最上志向"生"内省
あらゆる能力の源泉は「志」にある。最高のに向かう志は深い考察・洞察・観察、つまり内省的に考えを廻らせる力を生み出す。

解説:何が最高の状態なのかを一生懸命頭の中で考える。

内省"生"収集心
内省的に導き出したものをよりさらに充実させるために、あらゆる情報や英知を収集する力を生み出す。

解説:内省的に考えるには数多くの幅広い情報が必要である。これは縦方向に理論を洗練するというよりは、水平方向に思考を広げるためのフェーズ。

収集心"生"戦略性
収集心によって集められた雑多で複雑な情報を整理・統合するために、戦略性という力が生まれる。これは複雑・雑多な事柄から演繹的なルール・フレームワークを導き出す力である。

解説:水平方向に拡散したあらゆる情報を整理・統合し、垂直方向に思考を掘り下げる取捨選択を行うフェーズ。


戦略性"生"学習欲
戦略性によって整理・統合された事柄を、より理論的に洗練し、またそれが事実であるかどうかを確かめるために学習欲という力が生まれる。
学習によって得られた成果・経験が、また次の志を生み出す。

解説:深く掘り下げるフォーカスポイントが決まったところで、それに対する学習をするフェーズ。この学習とは垂直思考的な思考であり行動である。

この学習・行動によって得られた経験・成果から、また次のレベルの「志」が生まれてくる。


いかがでしょうか?
ちょっとこじつけっぽいところがあるかもしれませんが、ロジカルにまとまっていると思いませんか(笑)?

私は当初、”収集心”と”学習欲”の違いが良くわかりませんでした。

しかし、それぞれの目的を明確にしてみるとその違いが良くわかりました。そしてこの目的がわかったのは上記の物語を書いているときです。

収集心とはいわば水平方向の行動であり思考。目的は「見聞を広げること」で、あらゆる情報と体験を集めることが具体的な行動である。

学習欲というのは垂直方向の行動であり思考。目的はずばり「成長」で、ある分野に焦点を絞って学習・行動することである。

こう定義すると、非常にわかりやすくなりました。

そして最後に、スリーインワンの"才能開発の結晶"である構造機能を、この能力に紐付けていきます。

この主旨は、ストレングスファインダーで導き出された才能をより上手に使うためには、自分がもつ構造機能のどの能力を使えばより良く発揮でいるのであろうか?もしくは才能を抑制している構造は何かを調べることです。

要するに、才能を上手にコントロールするためのアクセルとブレーキを見極めましょうということですね。

こちらも筋反射テストで才能と構造機能の紐付けを行い、その相関関係を見ていきます。

その相関関係から、何が才能を使うブレーキになるのか、またアクセルになるのかを読み解いていきます。

ちょっと記事が長くなってきたので今回は省略しますが、このワークでも目から鱗の真実と気付きを得ることができました。

何がブレーキになり、何がアクセルになるかがわかっていれば、意識してそれを使うことができますし、意識的に使うことが習慣化すると、今度はそのアクセルとブレーキを無意識に上手に使うことができるようになるということです。

何がアクセルで何がブレーキになるのかを知っているのと知らないのとでは、自分の才能を磨いていく上で雲泥の差になると思いませんか?

これって本当に「すごいこと」だと思います。

今回の演習でこのアクセルとブレーキがわかったのは何よりの収穫でした。

これから自分の才能がどうやって昇華していくのか、すごく楽しみになりました。

しかし、まるで成長期の子どものように「この先自分はどういう方向で成長していくんだろう?」っとワクワク感じることができる私は幸せだと思います。

人間は死ぬまで成長することができるし、人間が最もワクワクするのは自分が成長しながら世のため人のために奉仕することだと思います。

今年35歳になりましたが、まだまだ自分が成長していることを肌感覚で感じられる今の全てに感謝です!

自分が持つ才能をより深く知りたい。理解したいという方は、私のスリーインワンの師匠のまぁちゃんが、そのためのスペシャルセッションプログラムをご用意されているので、そちらを受講されるとよろしいと思います。

きっと人生が変わると思いますよ!

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仕事を優先することは悪いことなのか?

前回はワークライフバランスが崩壊している原因・背景を、近代歴史の70年周期説のフレームワークに当てはめて考察してみました。

この記事をアップしたところ、思いのほかいろいろな方から反応がありました。

意外と深いこと考えているんですね。普段のキャラからは想像ができないみたいな反応も・・・(笑)

そういった中で、一部「仕事を優先することは悪いこととは思いません!」という意見を何人かの方からいただきました。

せっかくなので今回はそのことを書いていきたいと思います。

テーマはずばり、「仕事を優先することは悪いことなのか?」

そこでまずここで、この議事で扱う「仕事」の定義をしておきましょう。

仕事というのは自分が持って生まれた能力、親や人生の先輩から受け継がせていただいた知識・知恵・技術を使って世のため人のため役立つことをすることです。

そのご褒美としてお金をはじめとするなんらかのリターンが得られる。
これが仕事の本質だと思っています。

この本質を前提として我々が「仕事」を優先しているとき・・・

人は本当に「仕事」を優先しているのであろうか?

深層心理では他の何かを優先しているのではないか?

いや、外発的に「優先させられている」のではないだろうか?

という問題を提起したいと思います。

そしてこの問題について考察する前に、私の仕事に対する考え方をもう少し述べたいと思います。

私は「仕事優先=悪いこと」という直線的な考えではまったくありません。「仕事を優先することは悪いことなのか?」という問いに関しては「いいえ。悪いことではありません。」と答えます。

むしろ私は仕事が大好きです。

今は子どもとの時間を大切にしているのでそれほど長時間労働はしておりませんが、以前は本当に良く働きました。

半年間休みなしで、7日連続タクシーで帰宅というのはザラでしたし、本当に仕事がピークの時には一種のトランス状態(?)も経験しています。

それぐらいむちゃくちゃに働いていた時期がありました。

仕事が嫌いな人間がこんな働き方をしたら、恐らく精神的にやんでしまうか、過労死してしまうでしょう。

実際、私の周りにも心を病んでしまった仲間が何人かいました。

私は幸いにして自分が好きな仕事をできていたので、こういった問題にならなかったのだと思います。

また、人間は仕事によって大きく成長するものだと思います。
人間は体の成長はある時期に止まってしまいますが、精神の成長というのは本人さえ望めば死ぬ直前まで成長が望めます。

この精神の成長というのは、人間に課せられた大きな使命のひとつと思っているのですが、この精神の成長という意味でも仕事というのは素晴らしい手段だと思っています。

そして仕事を通して自己を確立し、そこで得た能力を社会のために使う。社会貢献の肌感覚を感じるには仕事が一番良い方法であることは間違いないと思います。

このように、私は決して「仕事優先=悪いこと」とは思っておらず、むしろ仕事は大好きな人間なのです。

しかし、先般の記事に書いたとおり、仕事優先の人生に対して別の意味で危険を感じていることも事実です。その警告を鳴らしたのは2つの理由があります。

ひとつは、「仕事に対するベクトルが外側を向いているのではなく内側を向いているのではないか」ということ。

もうひとつは「自分が望まない仕事をしているのではないか」ということです。

なぜこの2つに対して警告を鳴らさなければならないかというと、双方共に人間が意図せずに生み出している苦しみの根源になるからです。

「仕事に対するベクトルが外側を向いているのではなく内側を向いているのではないか」というのは、簡単に説明すると自己欲求・エゴを満たす道具になっており、世のため人のために能力を使うという仕事の本質を忘れているのではないかということです。

もちろん人間なので、ある程度のエゴを満たすことは重要なことです。我々は御坊さんで山の中で瞑想をしているわけではないので、ある程度のエゴ・煩悩を満たしてあげることは重要です。

しかし仕事の本質を忘れてしまい、自己欲求・エゴを満たすことに著しく偏っているということは、深層心理に人を不幸にする2つの感情が隠れています。
ひとつは潜在的な無価値感・劣等感、ひとつは支配欲です。

この2つの感情は、どちらも人を幸せにしてくれることはありません。
自分の中にある潜在的な無価値感を満たすための仕事というのは、仕事の本質ではないですし、何よりもその無価値感を抱く原因となった出来事(トラウマ)を理解し、開放してあげないと決して満たされることは無いのです。

また、支配欲についてはお釈迦様の説かれた世の中の苦しみの原因である四苦八苦の「求不得苦」と同じ意味であると思います。「求不得苦」とはほしいものが得れない苦しみのことですが、何かをほしがるのは人間が持つ支配欲のひとつの表れです。

このように、仕事の本質を忘れてしまい、自己欲求・エゴを満たすことに著しく偏っているということは結果的に自分とその周りを不幸にしてしまう恐れがあるのです。

次に「自分が望まない仕事をしているのではないか?」についての持論を述べていきます。これは仕事をしていて本当に驚くのですが、「本当はこんな仕事はやりたくないけど、仕事だからいやいやながらやっている」という人が本当にたくさんいるということです。

私は外資と日本の会社と双方で働いた経験がありますが、明らかに日本企業のほうにこのような感情を潜在的に抱いている人が多いと思います。

ちなみに外資系には、全社のエコを満たしたい系の人が多いですね。どちらかというと私もそちらのほうです。これはスリーインワンに取り組んでいく中で見えるようになって着ました。

ちょっと話がそれてしまいましたが、ではなぜ「自分が望まない仕事をすること」に対して警告を鳴らすのか。

これもお釈迦様の「怨憎会苦」そして「愛別離苦」という四苦八苦の概念に含まれる言葉を借りて説明したいと思います。

自分が望まない仕事を続けている、必ず何らかの憎しみや恨みが生じてくると思います。
その対象は上司かもしれませんし、同僚かもしれませんし、はたまた仕事そのものかもしれません。

なぜこんな嫌な仕事をしなければならないのだろうという思いで毎日しごとをしていたら、このような感情が芽生えてもまったく不思議ではありません。

これは「怨憎会苦」という憎んでいるものにあわなければならない苦しみと同じです。

そしてさらに、自分はこういった仕事がしたいと思っているにもかかわらず、それがいろいろな理由でできないという人もいるでしょう。自分が愛を注ぐことができる仕事ができない。これは愛別離苦という大好きなものに会うことができないという苦しみにつながります。

このように自分が選択していない(選択したくない)仕事というのは、苦しみを生み出す温床になります。

たしかに苦難を乗り越えた先に幸せがあるという考え方もあると思います。
しかし、お釈迦様があらゆる難行・苦行を行ったあとに「人が幸せになるために難行・苦行を行うことは無駄である」と悟られました。

お釈迦様が2,500年も前に気が付いたことです。
にもかかわらず、我々にはどこかに「苦難を乗り越えた先に幸せがある」という潜在的な刷り込みがなされています。

しかし、難行・苦行の先に幸せは無いのです。

したがって、仕事を優先することは悪いことではないし、むしろ人生の中にそういった時期があってしかるべきだと思っております。

ただし、その仕事が自分の煩悩・エゴを満たすものであった場合、もしくは自分が望まない仕事である場合、そんなものは優先するべきではないということです。

この2つを注意した上で、仕事優先の人生を送るというのはその人の自由だと思います。

しかしなぜこれほどまでに苦しみというものを避けなければならないのか。
これについては、また別の機会に書きたいと思います。

以上、「仕事を優先することは悪いことなのか?」について考察してみました。
ご意見・ご感想をいただければ幸いです。
長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

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目に見えない「戦争中」なのだろうか?

9月2日に内閣府がワークライフバランス(仕事と生活の調和)に関する意識調査結果を公表しました。

このデータによると。「仕事優先」を望む人は2.0%しかいないのに、現実は半数近くの48.6%が仕事優先になっているのが実態であるとのことでした。

そして、ちょうど同じ9月2日、私のスリーインワンの師匠であるまぁちゃんもこのようなブログを書いておられました。(そんなに仕事が大事なのか?

私も情報システム関係の仕事をしていることがあり、突発的なシステム障害の発生、もしくは緊急のプロジェクトミーティング等に対応するために、やむを得ず仕事以外の約束を変更してもらったりすることがあります。

自分が何かを解決しないとたくさんの人が家に帰れない、仕事を進められないという状況におかれると、友人との食事や楽しみにしていたセミナーよりも、やはり仕事(=問題解決)を優先してしまいます。

こういった状況って「・・・」思っていたところ、このような内閣府からの調査結果が出ました。私のようなITエンジニアの仕事は非常に特殊で、例外的だから仕方がないと思っていたのですが、それ以外の業種でも仕事優先にせざる終えないという状況なのですね。

たしかにたまに仕事が遅くなって終電近くの電車に乗ると、朝のラッシュと変わらないぐらいに電車には人があふれています。

この状況に対して、「みなさんもっとワークライフバランスを意識して仕事以外の生活にも目を向けましょう」というのは簡単ですが、私は今の状況をちょっと違ったフレームワークに当てはめてみたいと思います。

先日の記事に「近代日本の歴史は70年周期で動いている」という記事を書きました。

これに当てはめると、70年前というのはちょうどシナ事変が起こり、泥沼の日中戦争に突入していく年、そしてさらにその70年前というのは明治維新の年になります。

双方共に、たくさんの国民の命が犠牲になった動乱の時期にあたります。

そして現在をこの70年周期説のフレームワークに当てはめてみると、今の起こっているこの状況が説明できるのではと思います。

例えば何かの約束があったときでも「ゴメン!仕事が・・・」っという理由だと、相手方も「あぁ、仕事だったらしょうがないね~」っとなるのが一般的ではないでしょうか?

また、女性のビジネスパーソンがものすごくフューチャーされる時代背景があり、男女を問わず「朝から晩まで仕事をする」のが当たり前の社会通念になりつつあります。

もうすぐ「ワーキングマザー」という言葉がなくなるかもしれないというぐらい、働く女性が増えていますよね。

我々仕事を持つ父親のことを「ワーキングファザー」と呼ばないように、「ワーキングマザー」が一般化してくるとこの代名詞もいらなくなると思います。

それぐらいの勢いで仕事をする女性が増えています。

※決して女性が仕事をすることが悪いといっているわけではないので、誤解しないでください。

このようにみんなが「仕事・仕事・仕事」となっているのが今の世の中ですね。

そして仕事で成功し、お金をたくさん稼いでいる人=成功者、そうでない人は「負け組」というレッテルを貼られてしまいます。

この状況を70年前の出来事に当てはめられるのではと思います。

とにかく家庭(国民)のあらゆるの資源を「仕事」に注ぎ込むというのは、ちょうど70年前に制定された「国家総動員法」のようです。

さらに何かの理由を述べるときには「仕事だから」という画一的な免罪符が存在するのも、「御国のために」という免罪符のあった70年前と非常に似通っていると思います。

70年前は軍隊に入って軍で出世することが成功者であり勝ち組の証でした。軍隊にも入らず、平和を論じている人たちは「非国民」であり、やはり「負け組」の象徴でした。

そして現在の我々が最も注意しなければならないのは、仕事関係で命を落とす人の数の増加です。

この10年で、毎年3万人以上の人が自殺しているという異常事態。

10年で30万人以上の日本人が、何らかの社会的なストレスを感じて自殺しているのです。

仕事・社会的なストレスが自殺と強い関連があるというのは、こちらの統計データではっきりと出ています。

さらにうつ病患者に目を向けると、その潜在的な数は既に国民の1割である1000万人を超えているのではといわれています。

私にとって、これまで自殺やうつ病というのは、私にとってはテレビや新聞の中の世界での出来事でした。

しかしここ最近、極身近にいる人たちが鬱の経験をしていたり、友達に自殺者がいたりしています。

これは「仕事」を「戦争」という言葉に置き換えると、70年前の状況と現在の状況が明らかに符合しているように感じます。

直接的な暴力はないのですが、実は戦時中と同じぐらいの人たちが命を落としているのです。

これを戦争といわずになんと表現するのでしょうか。

我々が意識をしないところで、実は戦争は起こっており、何よりも現在のケースはそれにほとんどの人が意識レベルでは気がつけないというところに、問題の難しさ、深刻さがあるのだと思います。

太平洋戦争の終結である1945年をひとつの節目とすると、次の70年周期の終わりは2015年になります。

70年周期説に当てはめると、あと7年ぐらいはこのような状況が続く、いやさらにこの状況がひどくなっていくことが予想されます。

1938年から1945年の終戦までにあった出来事と、本質的には同じようなことがこれから7年の間に発生する可能性があります。

直接的な戦争ではなく、目に見えない何かがおこっている。

そしてその先には、現在「当たり前」とされている大きな価値観の変化が訪れます。

我々子どもを持つ親は、こういった時代認識をしながら子育てをしていく必要があります。

ではこの先どういった価値観の変化がおきるのか?
機会があれば、このブログで私なりの意見を書いていきたいと思います。

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本を読むときに指を添える効果

昨日の記事で、速聴コンテンツを耳で聞きながら、スクリプトを目で追うときに、指を添えること高い速読効果が得られる話をしました。

これについてちょっとおもしろい実験があるので、興味のある方はやってみてください。

まず2人が向き合い、被験者は目だけを真上に向けます。

そこから、被験者の方は意識して目をぐるっと一周、右回りでも左回りでも良いのでまわしてみてください。

そして向かいのもう一人の方は、その目の動き、特にスムーズに動いているかどうかを良く観察し、記憶しておいてください。

その後、向かいの方が指やペンをもち、そのペンを目の前で大きく一周ぐるっと回してください。被験者の方は指・ペンの動きを目で追いながら目をぐるっと一周回してください。

向かいの方は、そのときの被験者の目の動きをよく見てみましょう。

いかがでしょうか?

指やペンを追いながら目を回したときと、なんのサポートもなく目を回したときだと、明らかにサポート無しの目の動きはどことなくぎこちなかったと思います。

我々人間の目は、一箇所を凝視している、もしくは文章の行をスムーズに読んでいるつもりでも、実は目はその周りを忙しく行ったり来たりしていて凝視をしていないものです。

特に速聴に合わせてスクリプトを読んでいるときには、いつもよりも数倍速いスピードで目を動かしますので、なかなか凝視ポイントが定まりません。

そこで、今読んでいる部分をカラオケのナビゲーションのようにして指を添えます。

その指添え効果で、目がスムーズに動き、今読んでいる箇所を見失わずに目で追うことができるようになります。

以上、本を読むときに指を添える効果でした!

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速聴マスターは速読マスター?

Febeの公式ブログに速聴コンテンツの作成方法を動画マニュアル付きでコメントさせていただいたところ、Febeスタッフの方に感謝のメッセージをいただきました。

オーディオブックには本当に御世話になっているので、お役に立てて本当にうれしいですね。

これからも私にできることであれば、どんどん発信していきたいと思います。

さてさて、先日の投稿で、速聴の副次的な効果として、通常の本を読むスピードが上がるという話をしました。

こちらの件について、もう少し書いてみたいと思います。

人間は文字を読んでいるとき、書いているときの両方において、常にその文字を頭の中で音読しています。これを追読とか追唱と言います。

速聴が習慣化してくると、この追読・追唱が、いつの間にかすごく早くなります。
つまり「速読」ができるようになるわけですね。

速読というと、マスターするのが非常に大変なイメージがありませんか?

また高価なセミナーやトレーニングを受けなければマスターできない、それでもマスターできる人は非常に少ないと思います。

しかし、この速聴をマスターすれば、自然に速読ができるようになります。

それでは速聴しながら速読もマスターする方法とは・・・

大きく2つあります。

ひとつは、どんなコンテンツでも良いので速聴を毎日続けるということです。毎日音楽を聴くかのように速聴コンテンツを聴く。1日30分でも良いから続けることです。

音楽をポータブルオーディオプレーヤーで聴くことが習慣化している人にとっては、読書を習慣化するよりも、ずいぶんハードルが低いと思います。

もうひとつは、速聴コンテンツが文字になったスクリプトを同時に目で追うということです。
これは非常に強力なエクササイズです!
オーディオブックなんかは元のコンテンツが本なので、まさにこのトレーニングにはうってつけですね。

本を目で追いながら、耳で3倍速の音源を聞く。

このときにコツがあって、ただ本を目で追うだけではなく、今読んでいるところを指を添えて読むとより効果的です。

この指を添えて読む効果は、本当に強力なのでぜひお試しください。

なぜ指を添えると強力なのかについては、おもしろい実験もありますので後日その理由を投稿したいと思います。

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我々が教わってきた「歴史」は真実なのだろうか?

我々が教わってきた「歴史」というのは真実なのだろうか?

正しい歴史認識を持ち、これからの時代の流れを予測し、それに対応した準備をしておくのは、会社の経営のみならず、家族を守っていく役割を担う父母でにとっても非常に重要なことです。

しかし、我々がこれまでの義務教育を含めた文部科学省から教え込まれてきた歴史というのは本当に真実なのだろうか・・・?

さまざまな勉強をしていくうちに、そして自分の祖父母を含めた人生の先輩の御話を御伺いする中で、「どうも我々が知っている歴史は真実ではないのではないか?」という疑問を持ち始めました。

そんな中で、非常に骨太の素晴らしい歴史書に出会うことができました。

副島 隆彦: 時代を見通す力
歴史に学ぶ知恵 時代を見通す力
著者:副島隆彦

全部で300ページを越す、非常に骨太な歴史書です。
読書になれていない方は、ちょっと読破するのが難しいかもしれません。
また、ある程度のレベルで日本史・世界史の流れが頭に入っていないと読みこなすことが難しいと思います。

しかしこの本に書かれている内容を知っているのと知っていないのでは、ここから先の7~10年の間に起こる歴史の大転換に準備できるか否かの大きな分かれ目になると思います。

近代日本の歴史というのは、概ね60~70年周期で動いているといわれています。

この70年周期説は、あるレベルの日本の知識層・読書階層では、常識となっているようです。

ちなみに私はこの歴史70年周期説を神田昌典さんのオーディオセミナーCDで知りました。

この本には、簡単に次のような内容が著されています。

・中世から日本人の精神に連綿と受け継がれてきた「義」とは何なのか?

・政治の本質は「悪」である。

・現在に繋がる仏教と神道の対立、及びその対立が中世から近代日本の歴史にどのような影響を与えてきたのか?

・世界的なエネルギー革命と黒船来航、そしてロックフェラー財閥の成り立ち

・明治維新とその立役者たちの真実の姿

・日中戦争と太平洋戦争は「仕組まれた」戦争であり、それは「売国奴(ドアを内側から開けた日本人)」の仕業であった

・日本人が中東情勢を肌感覚で理解できない理由

・なぜ21世紀の現在になっても、世界中で紛争・戦争が耐えないのか?

こういった正しい歴史認識を持ち、そしてその歴史は概ね60年から70年周期で流れているということを知ると、この先の歴史の流れがなんとなく見えてきます。

例えば今年は2008年なので、これから70を引くと1938年。
日中戦争の開戦であるシナ事変が1937年で、ここから7年後の太平洋戦争終戦までの時期にちょうど現在が重なります。

そして1938年から140を引くと1868年。
この年は激動の年で、明治維新の年です。
王政復古の大号令五箇条の御誓文 といった歴史の授業でもおなじみの歴史の大転換の年ですね。

明治維新とはこの1938年から西南戦争終結までの10年間をいうのですが、この明治維新から10年間も歴史の大転換が起こった激動の期間になります。

そしてこの2つの歴史の大転換でおこった共通の出来事を観察すると、この先7~10年後に起こりうる大きな歴史の大転換が見えてきます。

上記2つの歴史の大転換から読み取れること。
それは支配階級の大逆転という真実です。

明治維新までは、徳川家が制定した「士農工商」という身分制度の中で、支配階級の頂点に君臨していたのは武士・士族でした。

しかし、明治維新によってこの支配階級は(表面的には)権力を奪われ、天皇を君主とし、実務的には下級武士たちを中心とした議員内閣制の国家が誕生しました。

太平洋戦争終結まえまでは、軍部の大将が国を支配し、内閣をも持っていましたが、戦争終結と同時にその権力を失いました。

どちらのケースも、それまで権力の最上位にいた階級がその権力を失い、それまでまったく権力を持っていない階級の層が権力を握ったということです。

翻って2008年の現在、今日本(世界)で実質的な権力を持っているのはどの層だろうか?
もしこの価値観の大逆転が起きたときに、その権力が奪われるのはどの層だろうか?
そして、次の時代の権力はどの層が握るのだろうか?

こういった本質的な問いの中に、大きな時代の流れが見えてきます。

上記の3つの層がどれをさすのかは、人それぞれの価値観や立場で見方が変わると思いますので、ここではあえて書かないことにします。

しかし我々は今、歴史の大転換の渦中にあり、これまでの価値観や常識がまったく通用しなくなる岐路に差し掛かっているのだということは認識しなければならないと思います。

現在の世の中は先行きの見通しが見えず、非常に不透明な世の中です。

よってこういった歴史認識を持たないと、これから先の激動の世の中でどのような子育てをしていけば良いのか、 どのような仕事・ビジネスをしてゆけばよいのかがまったくわかりません。

歴史から将来を見通す力を持つことは、普遍的に必要な知識人・文明人の必須スキルだと思います。

「歴史に学ぶ知恵・時代を見通す力」、ぜひ手にとって何度も何度も読んでみてください。

特に小さなお子さんをもつ父母の方、そしてたくさんの家族の生活を支えておられる経営者は、必読の本だと思います。

世の中の見方が変わり、時代の流れが見えるようになると思います。

副島 隆彦: 時代を見通す力

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